KORANIKATARU

子らに語る時々日記

銭湯への足が遠のく喉もとにささったトゲのようなカサ

下町銭湯の風呂上がり、出し抜けに豪雨降り出し軒先で立ち往生していると番台のお姉さんがカサを貸してくれた。

カサを持ったまま雨宿りするのも間が悪い。

荒れ狂ったような水量で襲いかかる雨のなか私は番台の姉さんとのやりとりの流れに従い一歩踏み出すしかなかった。

しかしこのカサが曲者であった。

柄の部分がそげてなくなりただ持つだけでも相当に握力が必要であり、それだけでなく、広げても広げても、すぐにしぼんで閉じてしまう。盛り過ぎたおじさんの草臥れたシンボルみたいに、しゃんとしないことこの上ない。

天に向け弓射る構えした彫像のような姿勢で私はカサの柄を強く握り、一方の手でしぼんでくるカサの骨を押し返し続けなければならなかった。

そしてもちろんびしょぬれである。

雨があがって、呪いから解放されたと歓喜し、通りかかったコンビニの傘立てにそのカサを差して去り、私は両の手の自由を回復することができた。

ところが、後日。

番台のお姉さんが言う。カサはもう返してくれましたか。

そのカサは不要なもので一時の用をなせば後はどうでもいい、と私は勝手に思い込んでいた。相手からすれば、貸したものは返すのが当たり前のことであ り、それなのに返さずコンビ二にカサを置き去りにした私は、道理わきまえない不届きもの、人の善意を踏みにじる不埒な輩というしかない。

今度持ってきますととっさに答えたもののもはやあのカサは見つかるまい。弁償するにしてもあのカサに見合う対価の算出は困難を極める。

そして私は、頰被りを決め込むのであった。カサについて詫びるのも大げさなような気もするし、カサを返さなかった輩と誹られながら湯につかっても落ち着かない。

行きつけの風呂を変えるしかない。

諸行無常が世の習い。

この程度、ちょっとしたことで人の行動というのは変化していくものなのであるなあ。