卒業し数十年経過するもまだ当時と同様、学校に通っているかのようにあまり分け隔てなく日頃から大阪星光同級生らは仲が良いのであるが、年月が経てば経つほど、この「昔のよしみ」のフラットな間柄が日々その組成を強化し続ける、凄味漂うほどのネットワークであると知ることになる。
十代の頃同様、遠慮会釈もなく言葉をかわすが、ふと気がつけば、相手はそこそこの職業人。
飛ぶ鳥落とす気勢の者であり、最前線で陣頭に立つ者であり、根幹に関わって余人を持って替え難い者であったりする。
学力やら偏差値やらよりも、地の塩、世の光、学校が持つ風土のもと培われた勤勉さ、誠実さ、優しさが大阪星光出身者の最大の特質とも言え、それらが職業人となってから本格的に駆動し始めるのであるから、普通に過ごしていても、いつか頭角現すことになる。
それに、あの学校へ行け、この学校へ行けという学校側の強い旗振りもないので、いい具合に適当にバラけて、各所に陣取ることになる。それに学歴やら属性やらで人を上下に見るようなあさましい心根の者もない。
このようにして、小集団でありながらも、隅々行き渡る広く強いパイプが生成されていくことになる。
ひと手間ふた手間惜しむような無精者もあまりおらず、寝起きともにした仲、なかには疎遠になる者もたまにはあるけれど大抵はいつまでも仲がいいので、このネットワークは常に起動し、レスポンスよく風通しもいい。
星光には独特の空気があって、それを皆でスーハースーハー吸っているうちに、毒気薄まり、なんだかいい人になっていくのであるが、その相乗効果で、歳を重ねるほどに、皆が皆、お手本としたいようないい人になっていく。
だから、星光生は夫にするのにもってこいと言われることも不思議ではない。
左の頬をぶたれれば、右の頬を奥様に差し出す、糖度等級5の男子は四天王夕陽丘の地にしか成らない。
実際にこのようなネットワークにつながるというのは、とても心強いことでありまさに広義で言うところの巨大な財産と言える。
私など日々感謝の念に堪えないほど恩恵を受けている。
みな、ありがとう、という気持ちを言いたくて今日はこのような日記を書いた。
ちなみに、この日記の最終回では、33期をはじめとする星光の仲間、先輩、後輩、そこから連なった友人、恩人らの名前を映画のエンドロールのように書き連ねようと思っている。
最後、ついでに言えば、中学高校の選択については、こういう視点も大いに参考になるだろう。