KORANIKATARU

子らに語る時々日記

最後のファイトをどう迎えるか


学年説明会の帰途、家内が事務所に顔を出した。
ここらあたりにお住まいのママ友と電車が同じで話ついでに一緒の駅で降りたのだという。

事務所を閉め、夕飯の食材を求め家内と連れ立って商店街に向かう。

たこやでタコと刺身、満海でイカと刺身、福寿司で鉄火など巻きずしを買う。
海鮮づくしである。

クルマで帰途につく。
助手席に座る家内が話し始める。


まずは、午前に懇談があった二男の学校について。

先生方と顔を合わせる機会も増えてきて学校への信頼度がますます増してきている。

その熱心さと親身さが徐々に父兄にも浸透し始め安心感が広がっている。

6年の長きに渡って最後まで伴走してくれる教師陣は実に頼もしく何とも心強い。

秋に実施予定のクラス懇親会の出席率も高い。
いい感じのまとまり、一致団結感が芽生えつつある。


続いて長男の学校の話に移る。

布陣に変更があってその説明が行われたようだ。
株主を大切にし報告を欠かさない優良企業みたいな姿勢である。

父兄が株主で生徒が顧客とでも言えようか。

目線は一貫していて、親や子がぞんざいに扱われることが全くない。

強者揃いの学年がその強さを更に増していくプロセスに入っていくようだ。
大学入試が間近の課題となってきた。


どちらもママ友の結束は固い。
何か共通のものがあってこその人間関係である。

昨今、漫然とした間柄にあっては女の敵は女という世知辛さ増す世情であるが、「子」という大テーマを皆が共有していて同じ学校に通っている。

であれば、そこには一面においては戦友感覚、広く見れば共感や連帯感といったものが強固な地盤となって生成し、様々な実のある人間関係が取り結ばれることになる。

これは思った以上にありがたい副産物であったと言えるだろう。


帰宅すると、長男はラグビーの練習に出かけて留守であった。

二男はリビングでくつろいで、トム・クルーズの「マイノリティ・リポート」を見ている。

私も横に腰掛け、二男に合流する。
2002年生まれの少年が2002年公開の映画を見て、その意味を解釈しつつ時おり寸評まで加えている。

生まれた当初の二男の姿が浮かび、今と引き比べる。
その成長の厚みに頬がゆるむ。


そして、土曜の夜は私の洋画劇場タイム。
「夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか、、、」
ジェットストリーム、城達也の名ナレーションが聞こてくるような安らぎの時間。

ミッキー・ローク主演の「レスラー」を白ワイン片手に見始めた。

最盛期を過ぎた元人気プロレスラーをミッキー・ロークが演じる。

プロレスラーが登場すると聞けば、豪放磊落、少し可笑しみもあるような映画をイメージするかもしれないが正反対。

リングで浴びせられる激しい当たりは、峠を過ぎとめどなく下降する流れに入った主人公ラムの肉体と精神を無慈悲に軋ませていく。

リングでの姿が、ラムの感情の揺れを細かに捉え、彼の衰微していく人生の現状をそのまま物語っている。

衰えゆきつつしかしラムはリングに立ち続ける。
気付いた時には、プロレス以外には何もない人生となっていた。

一度は引退も考えた。
しかし、かつて一世を風靡したスターである。
無名の者としての落ち着き場所を見つけることができない。

肉体はとうに限界に達している。
数々の無理と無茶が祟っていつ心臓が止まってもおかしくない。
プロレスをするなどあり得ないことだと医師から警告も受けている。

それでも、ラムはリングに向かう。
20年前、宿敵であったアラブの怪人ジ・アヤトラ-と戦った。
150万人の聴衆を興奮させた伝説の一戦であった。

その再戦が行われる。
死は避けられないかもしれない。
しかし、リング以外、彼の人生にはもはや何も残されていない。

試合開始前、ラムの登場を待つ歓声が聞こえてくる。
会場袖で、ラムがリングを指して言う。
「This is where I belong」(ここがおれの居場所だ)。

いつか私達にも「最後のリング」の場面が訪れる。
避けては通れない最後のファイトをどう迎えるか、その手本となる作品だろう。

ラストシーン。男であれば皆、魂の奥深いところが共鳴して震えるはずである。
プロレス好きのタコちゃんには真っ先にオススメしておかねばならない名作だ。

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