KORANIKATARU

子らに語る時々日記

親もまた学びを得る貴重な機会


なんでお前がここにおるんや。

試験会場に彼がいて塾の友人らは驚きを隠せなかった。
彼は塾のエース。
大手塾の、とある教室でのナンバーワンである。

だから、とっくに合格を決めさっさと中学入試の幕を閉じていて当然のはずであった。

余興でこの学校の試験に臨むはずがない。
ということは、まさか。

塾生らによって円陣が組まれ塾の教師の話で事情が分かる。
前半戦、勝利の女神はエースに微笑まなかった。

関西の中学受験は一月中旬に一週間かけて行われる。
前半3日でほぼすべての趨勢が決まる。
後半戦は敗者復活戦という位置づけだ。

円陣を遠巻きにし固唾飲んで見守る親らもエースの姿を目にし驚愕した。
決して大袈裟ではなく戦慄のようなものを覚えた。

ここに集結した面々は前半を終えまだ吉報を手にしておらず、今日この日で何とか決着つけたいと縋るような思いである。
そのように追い込まれた心境に置かれ、更にエースまで受けると分かる。

これはもう試験のレベルの見当がつかず、不安が高まるばかりということになる。

塾の教師の合図でエースが先頭に立ち子どもたちは気合の声を上げるが、その声音は悲鳴に近い。

大丈夫だよという互いの励ましはこの期に及んでは気休めにもならず空々しく響く。
場はどこまでも張り詰めていく。


ギリギリ土俵際、もう後がない。
中学受験に臨むなら、この切迫感とは無縁ではいられない。

友人から聞いたエースの話を思い出す度、ゾクリ冷たいものが背をせり上がってくる。

そもそも試験日程を組む時点ですでに親の顔はこわばり背筋は冷え冷えだ。
予断を許さない。
楽観的観測のつけ入る隙なく、悲観の数だけ願書の数が増えていく。

思い描きもしないような学校の受験票に子の写真を貼る際には、さらに気持ちが滅入って暗くなる。

しかし、悪い流れが生じてギリギリ土俵際となれば誰だって藁をも掴むということになる。
わらしべ長者という言葉だってある、と前向きに捉えようとはするものの、やはり藁より蜜柑がいい。

ああでもないこうでもないと雑念にまみれつつ、あらゆる事態を想定し子には黙って準備を進めることになる。

まさにロシアンルーレット。
銃口をこめかみに向けるような日々が続くことになる。


家内の知人についても同様のことが起こっていた。
我が子らが受験する以前の話である。

知人の子は抜群に優秀であった。
入試に向け家族皆で優雅に構えていたようではあったが、周囲含めて誰もがその楽勝を疑っていなかった。

ところが、皮切りの試験で何かあったのか調子を崩してしまう。
親子で激しい言葉の応酬が繰り広げられたという。
あれよあれよ、瞬く間に入試の日程が過ぎていく。

その間、崩れた調子が戻ることはなかった。
結果、思いもしなかった他府県の学校へ通うこととなった。


そのような話を身近に聞いていたので、受験に際して親にできることは腹を括ることと思い定めていた。

何があっても慌てず騒がずとなれるよう、我先にと悲観に埋没し、絶望の境地に先回りしておく。
ひどく辛いが、誰かはそこで待機しておかなければならなかった。
いい大人がおめでたい夢想にひたっている場合ではなかった。

そして、その境地で最善を尽くす。
よきセコンドがボクサーの力量を見極め勝てる好試合をプロモートするように受験校を選定し、試験間近の日常を平穏に過ごせるよう心がけ、神頼みもして、時に備える。

あとは覚悟を決めて天命を待つばかり。
ありきたりだが、結局はそこに到達する。

望む結果がもたらされれば嬉しい。
しかし不本意な結果であったとしても、要はその時点で不本意なだけであり、別の学校に選ばれそこに子の進む道があるのであれば、その不本意はいつか本意に変わり得る。

だから、何であれ、よし。
入試本番を通じ、親もまた成長し一段高みに導かれたように思う。

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