ある方が退職した。
ロッカーは空っぽだったが、私の名刺だけが一枚残されていたという。
わたしは役目を終え、その方はもはや私に用がない。
長くに渡ったやりとりを思い返す。
一つ一つの仕事が過ぎ去ってしかし消え去ることはない。
常に現在形で蘇り、折りに触れそれらが語りかけてくる。
経てきたすべてが血肉となり有用な総力を形作る。
インビジブルな鎧が日毎に分厚くなっていくようなものである。
無目的なキリギリスのことをアホギリスというが、そのうたかた蕩尽の日々の後には、何だか虚しい焼け野原だけが残る。
楽しかったはずの思い出も数葉のシーンが脳裏に浮かぶだけで、ほどなくおぼろとなって忘却の彼方へと消えて行く。
一方、働きアリの日々は何の変哲もなく一見地味で無味乾燥。
しかし振り返ってみれば、手応えある何か、小さな胸にいっぱいの、感慨深い充実感のようなものが残る。
どちらに至る道なのか。
すでに歩み始めた者であれば、一日を終えた後の余韻に耳をすませば即座判別つくだろう。
いま対峙する勉強が、いずれ晴れの舞台で心強い戦力になる。
そう知るのと知らぬのとでは結果は段違い。
この瞬間にも、強さの種子がまかれ総力の下地となっていく。
そう思えばすべての学びが心楽しくなるにちがない。
ストレスでさえも肥やしとなる。
その勉強が、あら不思議、いつか将来仕事の成果となって結実する。