息子二人が食卓で向かい合う。
氷水で締めた手打ちうどんがざるに盛られ二人の前に置かれる。
今や遅しと身構えていた二人の手が伸びたのは同時だった。
揚げたてあつあつのなすや玉ねぎ、ぷりぷりの海老など天ぷらも真横に添えられるがしばらくは見向きもされないだろう。
腹をすかせた二人の眼中にはうどんしかない。
彼らが対峙するうどんは腰が強くポロポロと簡単に切れたりはしない。
先を争うように二人はうどんを箸ですくう。
が、うどんは思った以上に長くしぶとく果てしなく、右腕を頭上はるか超えて伸ばしてやっとのこと、その末尾がざるを離れる。
高く掲げた腕はプルル震える。
うどんの端をつゆのお猪口に運ぶのに手間取って、しかし一刻も早くのどに流し込みたい。
うどんの先端が的を外れ手にあたっても、続くうどんがお猪口に入れば構わない。
やや乱暴、細かなことには頓着せずうどんをすする二人の様子が滑稽で笑ってしまう。
先日の冷やし中華の場合は簡単であった。
大皿に盛られた特製サラダの下に横たわる麺に鼻先つきつけ箸でかき込めば済む話だった。
今夜は一手間、余分な動作を余儀なくされる。
腕を何度も突き上げて、まさに食い荒らすかのよう、彼らは容赦なくうどんをすすり続けた。
わたしの食卓に麺はない。
かんぱち、まぐろ、いかを醤油で食べ、とりがいを酢味噌で食べる。
それに野菜サラダが添えられる。
上に幾枚も置かれたトウモロコシのそぎ切りがサラダを色鮮やか彩る。
まるで韓流スターの歯並びのごとくきらり整然と並んだトウモロコシの粒だけが今夜わたしの炭水化物。
今宵も美味しく楽しく印象深い夕飯となった。
子らが口にするものは毎度三食ほぼすべてを家内がこさえる。
手間暇かけた料理を家族で味わう贅沢を知ってしまうと、店屋物で済ます食事がなんだか貧相なものに思えてくる。
ひとえに料理上手の家内のおかげ。
今夜もまた、帰宅する子らの第一声は、腹減った、であろう。
そして彼らは出されたものをきれいさっぱり平らげる。
日常の光景に過ぎて気に留めることはなかったが、よくよく考えればこれほど手をかけた食事は贅沢の極みとも言えるだろう。
いつか子らがそうと気づけるよう、これは必ず日記にしておかねばならない話であった。