街全体がお盆ムードに包まれている。
どの役所もがら空きだ。
わたしは仕事しているが、気分は伝染する。
ふんわりくつろいだような空気のなか肩の力が抜けたみたい、楽な感じになってくる。
ほどよい閑散が、心をやわらげてくれる。
それでも、この暑さからだけは逃れようがない。
こうも暑いと誰もが汗ばみ、額や腕などのべとついた無数の照り返しが目に入ると、こっちまでその蒸したような粘着に全身覆われるようであって、いてもたってもいられない。
夕刻早くには仕事を切り上げ、風呂屋へ急ぐ。
いま、この時節、もっともこころよい空間はお風呂であること、論をまたないであろう。
脱衣所から湯場へと進み、水辺で遊ぶカバのように、シャワーつかんでキラキラとした冷水を全身に浴びせかける。
うひゃっー、気持ちよくて声が出て、同時に後ろでキャーと誰かが叫んだ。
振り返ると、風呂屋スタッフのおばさんであった。
この風呂屋は衛生管理が行き届いていて、常時、だれかおばさんが洗面器を並べ、湯質を測定するなどして、整理整頓清掃清潔が励行徹底されている。
わたしがシャワーを浴び、たまたま真後ろにいたスタッフのおばさんに水しぶきが勢いよくかかって、それで、キャー、となったのだった。
おばさんに向いて、わざとちゃうよ、ごめんねと恭しく謝るが、水辺のカバの格好であるわたしは、唐突にあることに気付かされた。
そこにいるのは女性であった。
見知らぬおばさんであり、空気のようにしか思っていなかったが、「キャー」という発声と、謝るというコミュニケーションが発生したことによってわたしは相手を認識することになったのだった。
男湯であるからなおさらのこと何も減るものはなく、誰に何を見られようがそんなことを気にかけていては何も始まらない場所であり、見知らぬおばさんがそこらを用事で行ったり来たりしていても、それで何かを思う者など皆無であろうし、わたしもそうである。
だからゾウさんぶらぶら丸裸のおじさんと、スタッフのおばさんが世間話していても何ら違和感を覚えたこともない。
しかし、それは何ら関係性のない存在であったればこそのことであり、関係性がなければそこには名もなく性別もなく、要は無に近い。
だから、全く何も思わない、ということになる。
わたしは数年前の出来事を思い出す。
足繁くプールに通っていた時期があった。
当然、受付のおばさんとは何度も顔を合わすので、二言三言は言葉を交わすことになる。
それくらいの社交性はわたしも持ち合わせている。
あるとき、全く別の場所にあるスパを訪れた。
お風呂をぶらぶらとしていると、見覚えのあるおばさんの姿があった。
そう、プールの受付のおばさんだ。
おばさんがカランのシャンプーやらを取り替えなどしている。
突如わたしは裸であることを躊躇うような気持ちとなった。
一瞬身を隠そうかとさえ思ったが、ここは風呂屋、一糸まとわぬ姿であり逃げも隠れもできない。
すぐに腹を決めて男らしく堂々と振る舞ったが、動揺は隠しきれなかったように思う。
(ここらは2013年3月25日の日記でも触れてある)
本当に不思議なことであるが、知った誰かを前に裸であることは、ちょっとばかりは身構えることであるようだ。
大の風呂好きであり、そこにおばさんスタッフが行き来していてもいたって平気であるが、知ったおばさんばかりがいる風呂屋であれば、さしものわたしも怯んでしまうことだろう。
想像してみれば分かる。
絶対に無理である。
知らぬが仏、とはまさにこのようなケースをも包含する慣用表現なのであろう。