KORANIKATARU

子らに語る時々日記

韓流を見て安らぐ

ソファに腰掛け、なんとなくテレビに目をやる。
ちらと見てすぐにチャンネルを変えていくのだが、韓流ドラマやK-POPで目がとまる。

この日は5年前づくし。
夕刻、仕事で立ち寄った先が5年ぶりの訪問であった。
1814日前とぴったり同じ場所にクルマを停めた。
数秒間目を閉じ5年分の感傷に浸ってからクルマを降りた。

家族を伴いソウルを旅行したのも5年前。

チムジルバンの巨大な湯船で大はしゃぎする子らの姿も深く印象に残っているが、湯上がりの脱衣所で見たテレビのシーンも忘れられない。

歌謡番組が放送されていた。
何の変哲もない、ステージで歌手が歌うだけの番組であったが、地元客やら地方の客やらに混じってわたしは黙って見入った。

異国での風呂あがり、とても癒やされるような感があって、その場面がいまも焼き付いている。

5年前に目にしたその光景を思い出しつつ、韓流が醸す居心地の良さにどんどん引き込まれていく。
いったいこの吸引力は何なのだろう。
他の番組はあっさりスキップできるのに、韓流には引き込まれる。

ドラマのスジは知らないし、出演者にも馴染みがない。
言葉は全く分からない。

それでもとっても懐かしい。
世界が不思議に見えた以外、何の考え事も心配事もなかった子どもの頃の安心感が蘇ってくるかのよう。

つまり画面の向こうは、かつての日本。
そういうことなのだろうか。

のどか伸びやか大衆文化が花開き、誰もが明日への希望を胸に団欒の憩いを味わった。
古き良き頃の、暖かな陽だまりのような郷愁がそこに垣間見えるのであれば、ついつい目を凝らして見入ってしまっても何ら不思議はない。

日頃全くテレビを見ないが、韓流だけは例外、ということになるのかもしれない。