夕陽ヶ丘高校で朝から合同練習がある。
そう言うので二男は置いてクルマを走らせた。
朝9時前、実家で両親を乗せ向かうは生駒霊園。
15日に一緒に墓参りに行く予定にしていたが台風10号通過のタイミングと重なったためこの日になった。
先日東京を訪れ妹家族と会ったときの話などする。
甥っ子、姪っ子が一気に成長していて驚いた。
そんな報告を両親は感慨深げに聞き、ときおり頷く。
烏兎怱々、そんな話をしているのにこの日の生駒トンネルはいつにも増して長く感じられた。
まるで異世界へと突入しているかのごとく進めど進めど暗がりが続いた。
土曜午前、人出はほとんどなく霊園は閑散としていた。
売店で花と供物を買い、当家の墓地へと進む。
途中、黒褐色でひときわ目立つ墓石をいつもどおり過ぎるが、これまでなかった名が刻まれていることに気づき立ち止まった。
享年25とある。
あってはならないことであった。
見知らぬ誰かではあるが、親より先に逝ってしまったのか、そう思うと見入りつつ苦しいような思いとなった。
そしてこの一瞬で霊園がどのような場所であるのかについて、リアリティが甦った。
日常の一コマとして墓参りをし、墓自体についての認識はうすらぼんやり鈍麻していたのだった。
当家の墓を洗い、雑草を抜き、お供え物をし、線香をあげ、思う。
今ある生が、いずれここに集約されることになる。
いつか父母もわたしも骨となってここに入り名を刻まれるのだった。
享年は?
今日の時間が明日も明後日も当たり前のように繰り返され、それが延々続くと思っているから見当もつかない。
が、「突如」か「徐々に」か自らが寄って立つ地の底が抜け、あちら側に召喚される。
それがいつかは不明だが、その確率が百%であることは間違いない。
考えれば考えるほど訳の分からないことである。
気づけばいまここにいて、だしぬけに地の底が抜けて、人知の及ばぬ無に還る。
理解の範疇を超えた話であるから幼い頃に伝え聞いたとおり、先祖がここにいて、わたしたちの来訪を喜んでいて、日頃はわたしたちを守り、いつか向こう側に旅立つときには迎えに来てくれる、そう思っておけばいいのだろう。
ジタバタ考えるよりそう思う方が潔くてスッキリするし、そう信じれば大事な者らが先を越さないよう先祖が交通整理し順番について取り計らってくれると一応は心を落ち着けることができる。
暑さで疲れたせいだろう。
帰途、会話はほとんどなかった。
高校野球の中継を流し、それを皆で眺めて過ごした。
履正社が地力を見せつけて勝ち、屈指の好カードである智弁和歌山と星稜の対戦が始まっていた。
実家で両親をおろすがやはり暑さで両親は疲労困憊といった様子だった。
わたしは夕陽ケ丘高校に向かった。
時刻は11時過ぎ。
運が良ければ二男の練習風景を見学できるかもしれない。
そう思い近くのコインパークにクルマを停めグランドを覗いてみた。
が、グランドで行われていた競技はサッカーだった。
残念。
二男らの練習はもう終わってしまったようだった。
仕方ないのでクルマをそこに停めて、わたしは駅前のラーメン屋きりん寺に向かった。
油そばが芳しい湯気とともに頭に灯って身も心もそれを食べる態勢になっていた。
しかし、やはり人生は思うように運ばないものなのかもしれない。
11:30開店との紙札が無愛想に貼られ店の扉は固く閉ざされていた。
営業を告げるパトライトはくるくる回って明滅している。
さっきクルマで前を通り過ぎたときもそうだった。
だから、わたしの頭には油そばが像を結んで、それでわざわざ足を運んだのだった。
こんな紛らわしいことはない。
あと5分ほどで開店だが、腹も立つのでわたしは引き返すことにした。
世界は食べ物で溢れている。
他にいくらでも選択肢があった。
コインパークに向けて歩き始めてまもなく。
前方に見覚えある一団の姿が見えた。
星光生たちだった。
練習を終え着替えも済ませ夕陽ケ丘高校を後にしたところのようだった。
このまま行くと正面からすれ違うことになる。
わたしは知らん顔してみることにした。
話に夢中だったからだろうか。
すれ違う際わたしは彼らを見たが、二男がうっすら笑みを浮かべていた以外、誰もわたしに気づかないようだった。
知らん顔をしたというより、じろじろ見てくるおっさんのことなどまったく視野の外という様子だった。
うちの家に何度も泊まりに来ている彼らである。
話しかければ気づいてくれたのだろうが、そこまでわたしは野暮ではなく寂しがり屋でもなかった。
ただ、彼らの様子がなんだか眩しく思えて、通り過ぎた後もわたしはしばらく彼らの後ろ姿に目をやり続けた。
時刻はちょうど11:30。
全員揃ってラーメン屋きりん寺に入っていくのが見えた。
「Enjoy 油そば」と二男にラインすると、すぐに返信がきた。
このあと皆で風呂に行く。
皆で練習に精を出し皆でラーメンを食べ皆で銭湯で汗を流す。
なんて素晴らしい真夏の一コマ一コマなのだろう。
わたしは撮った写真すべてをすぐさま家内に送信した。