ぼやぼやしていると働き口がなくなる。
五十を過ぎ、周囲のママ友らがパート探しなどをし始めた。
勤め人である夫の未来に期待は寄せられない。
役職定年などで収入は減少の一途で定年ともなれば激減を免れない。
「ご主人に代わって奥様が稼ぎ頭にならねばなりませんね」
面接官からそんな言葉をかけられ、あるママ友は自分が置かれた現実を思い知らされた。
なんとなくこの先もうまくいく。
そんな見通しが転ばぬ先の杖の必要性を見失わせたのかもしれなかった。
収入は先細るが、出費は嵩む。
あれこれ入り用でそこに依然として子どもの学費がのしかかる。
このトンネルに出口はない。
運良く職に恵まれても、仕事を覚えるのは簡単ではなく客も同僚もいい人ばかりとは限らない。
一日を終え、足は棒のようになり心は萎びて指は干涸びる。
それで手に入るのはわずか数千円程度でしかない。
実社会の当たり前について、いまになって聞き及び戦慄するからだろうか。
このところ家内はとっても優しい。
お酒も飲まず朝から晩まで仕事して運動も欠かさない。
この夫が元気であり続ける限り自分が途方に暮れることはない。
そう思う家内にとって、外で働くことに比べれば食事作りなど容易い話だろう。
女房が世界のリアルを目の当たりにすればするほど、食卓に並ぶ料理のヘルシーさが増していく。
わたしはわたしで思う存分仕事を楽しんで、それで家内はハッピーで食事の充実度が増していく。
いまのところ視界の先にトンネルの出現する兆しはない。
若いうちの苦労は買ってでもせよ。
三十代のうちにすべてのトンネルを先取りしてしまった。
そういうことなのかもしれない。
体調万全で仕事も快調。
だからそんな風に思えて仕方がない。