三ヶ日の最終日、家内のお供をして朝から初売りに出かけた。
が、お目当ての品の争奪戦に敗れてしまった。
黒星スタートなんてもっけの幸い。
今年もきっと素晴らしい一年になる。
幸先のいい新年の船出をことほいでわたしたちはさっさと帰途についた。
年末に風邪をこじらせ体調を崩してしまった。
思いがけず長引き、寝床に伏して過ごす時間にいろいろと頭を巡らせた。
で考えた末に行き着く結論はたった一つで、自分本位主義というのだろうか、今後は仕事よりも私生活を大事にしようとの思いで、これはここ最近、家内がわたしに口を酸っぱくして言い聞かせようとする思いと一致していた。
そもそも残された時間は多く見積もっても30年ほどで、例えば25歳から55歳までが一足飛びであったように過去の実感を踏まえれば30年という年月の呆気なさが身に沁みる。
だから仕事はぼちぼち程度でこなし、今年からは友人らと積極的に交流し、息子らともっと頻繁に会い、女房と昨年以上に各地を旅する。
ほどなくしてパリへと向かう日も到来し、逃した魚とはそこでまた相まみえることになるだろう。
そしてその方が初売りよりも物語としてはるかに値打ちがある。
家へと戻って、一休みするという家内を残し、わたしは二男を助手席に乗せドライブでもすることにした。
プール教室やラグビーや塾への送迎でしばしば息子を助手席に乗せクルマを走らせた。
そんなときに生じるコミュニケーションは日頃向かい合って話すのとは深みが異なった。
そんな父と子の対話を懐かしみ、わたしは息子に声をかけたのだった。
特に目的地など定めていなかった。
ダウジングするみたいにハンドルに行き先を預け、ぽつりぽつり会話しながら赴くまま進んだ。
まず最初、わたしの生家にたどり着いた。
わたしが生まれ育った下町の小さな家の前に立ち、二男にあれこれ説明を加えた。
この路地で縄跳びをして遊んだこと、この通りにある銭湯に通ったこと、など。
そして近くの神社で一緒に手を合わせ頭を下げた。
そこから事務所近くの神社に立ち寄ってお参りし、続いては息子たちが生まれ育った地を訪れた。
家族の暮らしが幕を開けた思い出深い地にわたしはしみじみとしたものを感じたが、二男はすっかり宮っ子で、大阪下町で過ごした記憶は一片も残っていないようだった。
当時の様子の詳細を二男に語って聞かせ、その地の神社へと連れ手を合わせ頭を下げた。
最後に、昔の事務所近くの神社へと向かった。
息子たちが中学受験から大学受験をくぐり抜けるプロセスで何度もお参りした神社であり、母の回復を乞い願ったのもここだった。
どんな思いで何を願ってきたのか。
つまり我が家のささやかな歴史を二男に語って聞かせた。
たっぷり二男と言葉を交わし、家へと戻った。
「どこをドライブしたの?」
そう尋ねる家内にわたしは言った。
「ちょっとそこらをぶらりと」
言って痛感した。
ああ、なるほど。
そんな感じであっという間、人生は過ぎていくのだった。