夕刻、天六を通りかかったから福効医院に立ち寄った。
慌ただしい診察の時間が過ぎ、クリニック全体が一息ついていた。
ほんの数分程度であったが、天六の院長と言葉を交わした。
ちびっ子たちの話に心が和んだ。
路線バスの運転手同士がすれ違いざまに合図を送り合う。
例えればそんな程度のコミュニケーションと言えるだろう。
が、そんな他愛のないやりとりの中にも心潤うものがある。
天神橋筋商店街の雑踏の中。
南森町駅までの長い道のりを歩きながらつくづく思った。
ふと顔を上げて周囲を見渡せば、そこには友だちがいる。
この日、家内はきじ歯科を訪れた。
相談事があって今度は芦屋の阿部レディースクリニックを訪れるという。
このように友だちの最前列に陣取るのはいつまで経っても33期の面々なのだった。
中高6年間を共に過ごしたから。
そんな単純な話ではないだろう。
この「最前列現象」の背景を読み解けば、星光生の特質が浮き彫りになる。
学校の理念が「アシステンツァ」と聞けば初耳だとみな口を揃えるだろうが、わたしたちはどうやら体質として常に誰かの「最前列」にいないではいられない。
卒業して何十年も経ち、理念が実は身体化されていると知るのだから教育の効果は侮れない。
そういう意味で、「家族のようにあなたを診ます」という福効医院の理念は、「ともにある」という星光生の在り様を端的に言い換えた言葉と捉えることもできるだろう。
見知らぬ人が行き交う商店街を歩きつつ、わたしは自身の内面の最前列を見渡してその豪華さと頼もしさに感動のようなものを覚えていた。
あまりに近い。
だからいつでも会える。
それでついつい疎遠になるが、縁遠くなっている場合ではないだろう。
当時と同様、文字通り最前列の距離で。
また結集しなければならない。