新今宮から南海電車に乗り換えて和泉中央を目指した。
駅からタクシーで目的地へと赴いて、前半の業務を終えたところで院長と昼に出た。
院長が38期でわたしは33期。
期は違っても大阪星光つながりで通じる空気があって話は早い。
場所は釜山道川の和泉中央店。
岸和田で焼肉と言えばこの店が筆頭に挙がるそうである。
背景がリンクしているから言葉が遠回りしない。
業務から家族、そして星光時代の話になった。
かつて学期ごとに配布された星光通信には上位50人の名が載った。
今ではあり得ないような話だろうが、当時はそれで各学年の優秀者が誰なのかその情報が全校生徒に行き渡った。
33期で言えば定光くんがいつも1位で高安くんが2位。
この東大法学部ワンツーパンチに続いて、同じく東大の本多くんや京医の八木くん、川崎くんと続いて、阪医の狭間くんや萩尾くんや岸川くんと来て、群雄割拠、それはもう賢い奴らがわんさ名を連ねていた。
眼前の院長もそんなレベルで名の載った星光列伝の一角を占める人物であったから、上記した面々と接する感じで、わたしも自然に対応できた。
やはり星光生ならではの話と言えるだろう。
院長の話が面白かった。
他学年の優秀者の名が記憶に刻まれて、医者仲間の会で、「あ、見覚えが」といった形で名が先に飛び込んでくる。
そのようにその時点で星光生同士は、すでに一歩近い距離にあるのだった。
そんな話を聞いて思った。
あの慣習を復活させてもいいのでは。
その方が猛者の猛者度がアップして、思い出話も増えていく。
仕事なのに終始居心地よく過ごし、夕刻、和泉中央を後にした。
途中、新今宮で乗り換えた。
環状線外回りは殺気立つほどに混み合っていた。
更に混雑度を増すであろう大阪駅までとてもではないが持ちこたえられない。
そう思ったとき、野田駅で電車が停車しドアが開くのが目に入った。
その瞬間、昔の記憶に引っ張られるかのように、わたしは人混みを押しのけ電車を降りた。
この日は朔日。
満員電車から脱出した解放感にひたりつつ、わたしはぶらり懐かしの神社へと足を向けた。
事務所がここにあったときは足繁くその神社に通って手を合わせていた。
夕闇の向こうに社殿が見えて、夫婦らしきカップルの先客があった。
タイミングを見計らって社殿へと進み出て、いつものとおり手を合わせ頭を下げた。
お参りを終え駅へと向かいはじめたとき、着信があった。
家内だった。
いま海老江の高速入口に向かっている。
福島でインディバを受け終え、これから帰るところだという。
わたしが近くにいると知って家内は言った。
すぐ引き返す。
野田の駅まで迎えに行く、とのことだった。
もはや彼氏である。
昔なつかしの駅の前に立ち、わたしは家内を待った。
あの頃と変わらぬ空気が懐かしい。
今回ふと途中下車して改めて気がついた。
いろいろと移ろうなか、こうして変わらぬものがある。
春のはじまり、はじまり。
昔馴染の場所で、その幕がまたあがったのだと感じた。