長きに渡った補修工事が昨日で終了となった。
別れ際、若い職人のうちの一人が言った。
また、よろしくお願いします。
また?
家内がその言葉尻を捉えると、彼は言った。
15年後にまた。
家には手入れが必要で、まだまだ入り用が続く。
わたしはそう悟った。
まあそのときまで頑張って働こう。
彼らを見送り、わたしたちは夙川へと移動した。
今年の桜も見納めである。
ああ、名残り惜しい。
選んだ和食屋が大当たりだった。
料理が美味しいと家内は上機嫌になって、一緒に過ごす楽しさが倍加する。
両岸に並ぶ桜を眺めながら川沿いを進み、わたしは15年という歳月について考えた。
桜の苗木が育って見栄えするまでには15年かかる。
そんな話を持ち出したところで実感など湧かない。
やはり時間の指標となるのは子どもたちだろう。
彼らがいなければ長短どんな月日も何もないトンネルを走り続けるようなものである。
15年前と言えばちょうど息子たちを芦屋ラグビーに通わせ始めた頃になる。
そろそろ塾もはじまって、だんだんお金がかかっていく時期で、仕事は忙しくまあ大変だったが充実の日々だった。
あの頃、子どもたちの成長を追いかけるようにわたしたちもがむしゃら必死に生きていた。
なんてボリュームたっぷり、盛りだくさんな15年だったことだろう。
過去を一通り振り返ってから、そして前を向いた。
この先は?
15年前、わたしは40歳だった。
15年後、上の息子が40歳になる。
川の踏み石を伝って対岸へと渡ると、桜並木の向こう、阪急電車がゆっくりと枕木を踏みしめ進む姿が目に映った。
車窓の灯りが川面に映って柔らかな光の帯を描き、等間隔に響く走行音が耳に心地いい。
一周回る。
ふと、そんな感覚を覚えた。
彼らがちびっ子だった頃の思い出が次々と浮かぶ。
声や季節ごとのにおいや光、足音などが家にしみ込んでいる。
今度は孫たちが彼らに取って代わることになる。
未来へと橋をかける。
単なる家の補修であってさえ、そうした願いのこもった行為なのだと思えば、「またよろしく」と発するべきはむしろわたしたちの方だったのかもしれない。
桜咲き誇る夜空のもと、今更ながらそんなことに気がついた。