連日、サウナに入ってつくづく思った。
ああ、気持ちがいい。
そんな感覚が、心の深いところまで沁み渡ってくる。
不要物や夾雑物がすべて排出されていく清々しさに身を委ねながら、ふと考えた。
こうした心満たされる時間だけで、日々を構成できないものか。
もしそれができたなら、毎日は楽しみの連続となるだろう。
考えただけで、めくるめくような感覚に包まれる。
自分だけの「ベスト・アルバム」を編集するように、サウナ、運動、旅行、食事、映画、読書など、 心を満たすものだけを並べ、一つ一つ選び取りじっくりと味わっていく。
そうした体験は、手に取れる形では残らない。
しかし、確かなものが心の芯に沁み込んで、深く根を張って自分を構成する一部となる。
一方、モノは手にした瞬間から色褪せはじめる。
だからだろう、あまり関心が向かない。
快を嗅ぎ取るセンサーが、内に備わっている。
一体それはなぜなのだろう。
おそらくそれが追求すべき善。
人生の道標と言え正しい方向を指し示す。
残りはあと二十数年ほどだろう。
だからなおさら。
快にジャストミートして、遠回りした分を巻き返す。
満ち足りればいい。
微か聴こえるメッセージは至ってシンプルなものに感じられる。