KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子どもが遠足に向かうように、嬉々として

終日、雨。

 

わたしは朝から自室にこもって書類作業に没頭した。

強めの雨がよいBGMとなって仕事が捗った。

 

しかし、昼を過ぎる頃合い。

じっと机に向かい続けるうち、すっかり頭が煮詰まった。

 

こういうときは軽く汗を流すのがいい。

 

クルマは家内が使っていた。

 

事務所スタッフを連れ、今日はランチ女子会を催す。

そう言って家内は楽しそうに出かけていった。

盛り上げ役としてわたしは家内にまったく敵わない。

 

なんであれ適材適所。

そんなことを思いつつ、わたしは傘を差してジムへと向かった。

 

強雨の平日、さすがに空いているだろうと思いきや。

ジムはご老人の方々で大盛況だった。

 

プール教室がまもなくはじまるのだろう。

わたしが泳ぐ先を、幾人ものご老人が急ぎ足で過ぎていった。

 

しばし泳ぐのをやめてプールの端に立ち、わたしは「生徒たち」の移動を見守った。

 

水着姿のおばあさんたちが笑顔で仲間と話しつつ歩くその様子は、まるで遠足へ向かう子どもたちのようだった。

 

ふと、思った。

見た目は歳を重ねていても、その奥底にある「楽しい」という感情は子どもの頃と何ら変わりがない。

 

筋トレのエリアでは、トレーニングに励むご老人の腕に目が留まった。

そこにはロレックスが輝いていた。

 

貴重品だから肌身離さずという訳でも、見栄を張る訳でもない。

長年愛用してきたからジムでも使うということなのだろう。

 

ご老人が経てきた膨大な時間がロレックスに集約されているからか。

その腕に実に馴染んで見えた。

 

そうした光景を目にし、わたしはひとつの思いに行き着いた。

 

かつて皆さんは旺盛に働いていたに違いない。

そしていまもその姿勢は変わらない。

規律正しく暮らしの主導権を握り、生き生きとした時間を過ごしている。

 

ならば、わたしも同じだろう。

 

歳を重ねたからといって、黙って引きこもるなんて考えられない。

真面目を絵に描いたような性分である。

それで収まるはずがないのだった。

 

確かに歳を取れば、新しいことをはじめるといったことはないかもしれない。

が、ずっと続けてきたことを続けないなどあり得ない。

 

その最たるものが「仕事」だろう。


これまでコツコツと積み重ねてきた。

課せられたものではなくまさに自分のものであり、まちがいなく人生の集大成として、これだと胸を張って指し示すことができるものである。

 

だから歳を重ねても当事者としてリーダーシップを発揮し続けることだろう。

 

もちろん女房にとっても同じこと。

高齢になっても女子スタッフを引き連れ女子会を企画していることは間違いない。

 

まるで子どもが遠足に向かうように、嬉々として。

そんな未来を思い浮かべながら、再び雨の中を歩いて帰路に就いた。

2025年6月10日 料理教室の成果 コーンライス,ピビンバに韓国風肉じゃが