KORANIKATARU

子らに語る時々日記

親の愛は時を経てから沁み渡る

親に心配をかけっぱなしのバカ息子だった。

金曜の夜、武庫川を走りながらつくづく思った。

 

耳に流れる音楽が日本歌謡の懐メロで、親はこうした旋律とともに歳月を重ねてきたのだろうと思うと、自然と親の存在が胸に迫った。

 

わたしは親に心配ばかりかけてきた。

しかし、世間を見渡せば、子どもというのは大抵がそんなものと相場は決まっているのかもしれない。

 

うちはバカをバカのまま野放しにしてくれた。

好きにすればいいという考えが根底にあったのだろう。

ああしろ、こうしろなど言われた記憶が一切ない。

 

思慮浅いガキ風情に、親の深い愛情の奥行きなど理解できるはずもない。

わたしは好きに生きることができ幸いだった。

 

自分の価値観を軸に自分のペースで生きていて、その「思うまま」の度合いが年々増している。

 

社会に出た当時、世の中の仕組みに窮屈さを覚えた。

普通は折り合いをつけるのだろうが、わたしは逃れようとした。

 

時間にも場所にも拘束されたくない。

一歩間違えれば危うい考え方だろうが、その一点を切望してわたしは生きてきたように思う。

 

親は肝を冷やしたことだろう。

が、結果、それなりの姿に至ったことで、親孝行らしきことができた、そう信じたい。

 

世には、親が最初の関門になるといった家庭も少なくないだろう。

いったい誰の人生なのか。

 

親の見栄や体裁を盾に、「期待」という名の重荷を背負わせ、子どもがその通りになると信じ込む。

ところが蓋を開けてみれば、皮肉にも予想外の結果が表れ、そこで初めて、親は気づく。

アホでもバカでも、元気であればそれが何より。

 

なんとも儚く、切ない話である。

出会いは奇跡そのものであり、人は死ぬからほどなくして別れの時が訪れる。

 

そう思えば、ただただシンプルな愛情がわいて出て、余計な邪念の入り込む余地はない。

 

天気予報によれば、週末雨が降り、週明けには一気に気温が下がるという。

季節は確実に移ろっていく。

 

そろそろまた東京へ。

息子たちの顔でも見に行こう。

2025年10月17日 谷六なにわ 女房と昼食