KORANIKATARU

子らに語る時々日記

雷鳴も遠のく幸福なお風呂

みぞれ混じりの雨が突如降り出し視界塞ぐようにクルマのフロントガラスに水滴が幾筋も走る。
空が瞬き雷鳴がとどろく。
ハンドル握る手が思わず縮こまる。
アメリカ村から四ツ橋筋を北上し本町通りに向かう。

ついさっきまでの話が映像となって頭に浮かぶ。
近所でラーメン食べてきたよ、といった軽いトーンで語られたので冗談話に付き合うみたいに一緒になってニコニコ聞いていたが、思い出し笑いできるような話ではない。
もし次に会う機会があったとして、どう接すればいいのか見当もつかない。
もうとても気軽には振る舞えない。

野田阪神の交差点を過ぎ2号線に入る。
雨足がさらに激しくなる。
車間距離を開け、速度を落とす。
あたりはすっかり暗くなっている。
どこまでも長く暗いトンネルを潜っていくような帰途となる。

家に帰ると既に食事の用意がされている。
今夜は具だくさんのうどんすきだ。
うどんは八尾の名店一忠のもの。
揚げ出し豆腐がサブメニュー。
行列ができるほど有名な店の一品だという。
ふうふうしながら頬張り時折炭酸水を飲み熱を冷ます。

二男とともに風呂に入る。
草津温泉の素を入れ差し向かいで湯船につかり、子は「ガフールの勇者たち」を読み、私は姜昌勲著の「あなたのまわりのコミュ障な人たち」を読む。

風呂で四肢伸ばし読むのに持ってこいの本だ。
姜先生が発する「くつろぎ感」のようなものが、お湯加減にちょうどいい具合に馴染む。
先天的なもの後天的なもの含め様々な症例について語られるが、敷衍すればそこに記された内容は日常そこらで見聞きするもの、思い当たるものばかりである。

ああ、ここの下りはあの人のことか、といった身近な人の顔が浮かび興味そそられどんどん読み進む事ができる。
筆致がとても解りやすい。
何とも捉えようなく燻っていた他者の心的病理に対するモヤモヤ感が、素人にも理解できる平易な言葉で著述され、明快に整理される。
湯でか文でかスッキリ爽快感を覚える。

加えて、対人的な認知の枠が、使いこなしたグローブのように人心地柔らかとなり、受容力が増すような気がしてくる。
困った奴だと手を焼き神経摩耗するような心的ささくれが穏やか癒され、それも個性これも魅力と相手を肯定的に捉えるような余裕が生じる。
草津温泉の素、はたまた姜先生の人柄の効能か。

汗だくになり、二男と二人して一旦風呂から出る。
素っ裸、私は右の洗面台で歯を磨き、二男が左の洗面台に両の手をつき湯の火照りを冷ます。
鏡に大写しとなる二人の姿を眺めつつ、ありふれた日常の恵みが凝縮されたこの一場面にしみじみ感じ入る。
こんなヘボ父から、こんな立派な存在が発生したなんて、いやはや信じ難い。

にわかに今夕聞いた若い男の話が洗面所の鏡面に明滅するように蘇る。
たまたまその店に居合わせた若い男が何気ない雑談の折りに過去の乱闘事件について語り始めた。
論理明晰、社交性抜群、おしゃれで男前な人物である。
道すがら、彼を見てヘラヘラ笑っていた連中がいたのだという。
一旦無視して通り過ぎたが、どうにもこうにも抑えようなく怒りが湧いてきた。
意味なくヘラヘラされるとムカツクのだ。
部屋に帰って木刀を持ち出し、まっすぐその場所に戻ってきた。
彼らはもうヘラヘラなどしていなかったが、力任せに無抵抗な者たちをボコボコに乱打した。

笑いながらそのような話が続く。
つられて私も活劇に興じるように聞き入る。
一見して正常、それどころか、どこからどう見ても感じのいい好青年である。
その青年が、痛快でならないといった様子で生身の人間をメッタ打ちにした様子を語る。
その心的事象を理屈づけ語る言葉の持ち合わせがない。
何がどのような働きでそのように至るのか全く理解が及ばない。

街を襲った突然の雷雨はすっかり収まったようだ。
外を見ると枯れ葉が散乱し路面にへばりついている。
公園から風で飛ばされてきたのだろう。

さて、今度は書物は置いて、二男と風呂に入り直す。
姜先生の昔話でもしてホッコリすることにしよう。