KORANIKATARU

子らに語る時々日記

うみのさしみ

雨があがる。空気が生暖かい。
セーターだけ羽織って始発で事務所に向う。
午後に出かける用事があるので、さっさと今日の仕事を片づけなければならない。

昼になり一段落、こざっぱりしようと散髪屋に出かけるが、職人揃いのあさひ理容は町のおじさん達でごった返していた。
あきらめて、金毘羅のうどんを食べ退散する。

今日は梅田で家族揃って007スカイフォールを観る。
長男の受験が終われば、世間の家族のように映画でも観て食事しようと約束していた。
やっとその時間がとれた。

パソコンのHDDなどに入っている子の昔の映像などを見ると、その成長の早さに驚くばかりだ。
兄弟で仮面ライダーの変身ごっこしていたのはつい先日のことだったはずである。
画面に映る二人はぷっくり幼いちびっ子で、その面影のまま日頃接しているけれど、虚心にみればいまや二人は一端の男風情漂わせ、端倪すべからざる人物へと変貌する前奏の段階に入りつつある。

まだ幼かった二男がパソコンを使い始めた頃、「うみのさしみ」と検索履歴にあった。
「うみのさしみ」という語で一体何を調べようとしていたのかは、今もって不明である。
ただ、その見慣れない文言から、何かを知ろうとするちびっ子二男の探求心がうかがえ、じーんと心熱いものを感じたものであった。
そんな二男が映画は吹替よりも字幕がいいと言うまでに長じた。

そして、仮面ライダーから歳月経て、いよいよ007だ。
エッチなシーンがないかどうか心配する二人だが大丈夫。
正視できないシーンがあれば目を伏せればいい。

地元ではお目にかかれないほどに足が長く端正な顔立ちのMさん姉妹を、塾で会ってもふんと無関心そうにあしらう君たちであるが、仮面ライダーが007に変わるように、そのような態度もいつの間にか変わるのである。
だから、大人になっても仮面ライダーを観てるようだと少し困る。

梅田で待ち合わせた。
15:00上映なので30分も余裕がある。
ところがステーションシネマのチケット売り場は、S字が5つも6つも折り重なるような長蛇の列。
スカイフォールの表示は、すでに△。
つまり、空席あと僅か。
焦る。
いきなりチケット買う場面から007ではないか。
ギリギリ2分前、最後の4つ並びの席にありつけた。

一人ロンドンをぶらついて偶々観たゴールデンアイ、それが私が初めて観た007である。
(時が巡っていずれ息子伴い梅田でスカイフォール観ることになるなんてこのときは想像さえしていない)。
以来、シリーズが公開される度、映画館に足を運んできた。
今回50周年記念となるスカイフォールはこれまでの最高峰、拍手喝采の出来栄えではないか。
007的要素が全て揃い、かつエッチなシーンは極小で、子らがはじめて007体験するのにうってつけであった。
多少ストーリーや設定に無理があっても、補って余りあるほどの展開とド迫力。

子らの記憶に強く刻まれたことだろう。
そしてこれを機会に、007は我ら父子ともに観る映画として定番となっていくのである。
この先、決まった行事のように封切られれば揃って出かけるということになる。

007はストーリーや設定を楽しむだけでなく、ロケーションや衣食といった様式、任務遂行における精神性といった、附随要素が盛りだくさん見どころ満載で、共通体験として話題にするトピックに事欠くことがない。
映画を見終わった後、梅田界隈の夜景を見ながらピザやらを頬張り、長男が映画に登場した軍艦島について話してくれた。
私は知らなかったが、あれは日本の島ということだ。
子らの話に耳を傾ける。
ワインがますます美味しく感じられる。

映画を観る喜びに浸ることができた良き一日となった。
時間を作ってどんどん映画を観て、それについてああでもないこうでもないと我らで話し込もうではないか、最高だ、楽しみ尽きない。