KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子供は子供だった頃(その1)

明け方雨が降っている。
クルマで出発する。
何年か前、急にエンジンが停まった場面をふと思い出す。
代車で武庫川沿いを南へ走っていた。
スポーツの森でひと泳ぎしようとプールに向かっていた。
ちょうど梅雨時で雨が降っていた。

間もなく臨港線に差し掛かり左折するという既の所で何の予兆もなく突然エンジンが停まった。
運転席前に配せられた計器類の電光表示もたちまちすべてが消えた。

河口に向かうゆるやかな下り道なので慣性のまま減速せずクルマは進んでいく。
前にクルマが迫ってきてブレーキを踏むが、利かない。
強く何度も踏むけれど、ぴくりとも反応しない。

クルマはそのまま前に進む。
もうぶつかるという際の際、咄嗟にサイドブレーキを引いた。
鼻先近づけるほどの至近距離、間一髪で何とかクルマは停止した。
一瞬の出来事だったはずだが、ストップモーションのようにそれらの場面が目に浮かぶ。

停止したはいいが片側一車線の道を塞ぐ形となった。
後続車は代車が障害物となって対向車がある限り前に進めない。
躊躇ってなどいられない。
代車の後ろに立って、無手勝流で交通整理をし始めた。

雨足は強くなるがなりふり構ってる場合ではない。
プールに行くだけなので傘の持ち合わせがない。
ずぶ濡れになり体温が次第に奪われる。
増してゆく肌寒さと武庫川べりの草木の匂いが強く記憶に残っている。

西宮であったことが不幸中の幸いであった。
もしここが大阪市内の道路ならクラクション鳴らされ「アホ、ボケ、カス」とがなり立てられるだけでなく、ゴミクズなど放りつけられガムやつば吐きかけられ、中には胸ぐら掴んでくる者もあったかもしれない。

一台のボルボが停まり、お兄さんが傘を差し出してくれる。
どこか連絡しようかと声もかけてくれた。
クルマ屋には既に連絡入れていた。
救援隊がそろそろ現れてもいい頃合いだった。

結局小一時間ほど待って救援部隊が現れたけれど、気も遠くなるほど長く感じられる時間であった。
せめて当初の目的は果たそうと意地になって代車の代車に乗ってプールで泳いだ。
ざんぶと裸でずぶ濡れになるのと、服を着たまま雨で濡れるのとでは、一味も二味も違う。
後になってもぞっとするばかりで、全然笑えない思い出である。

ネガティブな思い出が朝一番から浮かぶということは疲れているのだと相場は決まっている。
嫌な思いが頭を過ったり、些細な事が気になったり、他愛ないことが厄介で重く感じられたり、何気ない一言が引っ掛かって軽く水に流せないようなときはたいてい疲労が溜まっているのである。

そんなときは、何で気が塞ぐんだろうと人生問答の深みに入る前に、さっさと疲れを抜くことに集中した方がいい。
肉体的な疲れは思考の堂々巡りでは見当違いの誤訳だけがあふれるばかりで解決できないのである。

十分に心得ていながら、いつも決まってワンテンポ疲れの自覚が遅れる。
さっさと処置しておけばモタモタと停滞する不毛な時間を回避できるのに、頭傾げて考えに考えてから、ああ、疲労だと、最後になって思い当たるのである。

何とか2時間確保して近所のマッサージ屋に駆け込む。
ここの男性施術者には一切手抜きがない。
まるで一球入魂、一揉み一揉み、一さすり一さすりに、心がこもっている。
当然、力もこもっているので、気持ちいい。

丹念に全身隈無くほぐしてもらう。
肩と首が限界のピキピキ感だと自覚症状を訴えたが、彼によると、これは腰を手当しないと改善しないということだった。

徹底的に腰をあらゆる角度から揉みほぐしてもらう。
するとどうだろう、頭上を間隙なく覆っていた曇天が、広々晴れ渡るような日本晴れに様変わり。
とても軽やか楽になる。
ああ、素晴らしき哉人生といった気分がしみじみと湧いてくる。

もしかしたら、世の中の悩みの大半は、いいマッサージを受けることで解決できるのではないか、そんな気さえしてくる。

臨終の間際、何を食べるかといった暇つぶしの会話があるけれど、それよりも、どこをケアしてもらうか話し合う方が楽しいかもしれないし、実際的だ。
もう死ぬというというときにまさか冷麺や焼肉などおいしく食べられるはずもないだろう。
それより、足つぼでも押してもらう方が今生の別れの情感とともにしんみりそこはかとない心地よさに浸れるのではないだろうか。
私なら、足裏、ふくらはぎ、背中肩甲骨、肩、腰、そして首筋か。

つづく