KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「白いリボン」を見て百年前について考える


底冷えの京都からの帰途、成城石井で3本まとめ売りのワインを買う。
事務所に立ち寄り後片付けしてから自宅に向かう。

家内が作った野菜スープに、ブルディガラのバケット、それにハムやトマトやチーズやらを添えて、赤ワインを飲み始める。
長男は「白い巨塔」に没頭している。
彼はドラマ中のお色気五郎ちゃんシーンが家内の手により編集カットされていることを知らない。
どのみち男子中学生、その程度の編集が何の意味も為さないと知りつつそれでも家内は毎回録画内容から五郎ちゃんシーンを削除する。
映画「ニューシネマパラダイス」のラストみたいに、いつか五郎ちゃんだけのシーンを集めて見せる予定もないようだ。

3本3,990円にしては上出来、ワインは当たりであった。
実に美味い。
人心地つき、やっと休息。
ハネケの「白いリボン」を見始めた。


百年前の次の年、1914年に第一次世界大戦が始まった。
ヨーロッパに皇帝がいた時代であり、皇帝が実権を持っていた。

「白いリボン」の映像によって当時の空気のなかに引き込まれいく。

オーストリア帝国のアイヒヴァルトという村が舞台である。
実在の村かどうかは分からない。
この村に奇怪な事件が立て続けに起こる。
これらの出来事こそがこの国そのものの有り様であったのだ、と村の教師が語り手となり物語が始まる。

何者かが針金を仕掛け村の医師が落馬し重傷を負い、男爵の子が逆さ吊りにされ暴行を受け、荘園の納屋が焼かれ、家令の嬰児が危うく凍え死にしそうになり、知的障害のある少年が失明に至りかねないほどの暴行を受ける。

何らかの悪意が連鎖している。
不穏な空気に村は覆われるがしかし、誰の仕業か判然としない。


語り手の教師の前には謎を解く鍵は全て揃っている。
しかし教師はその謎を解くことができない。

善良な人間ではあるが、愚鈍であり、権威に追従的であり、関心の大半は恋人のことで占められ、しかし恋人の言葉にも鈍感であり、彼は要領得ないまま、戸惑ったまま、頼りないような口調で語りを続ける。

貴族と農奴、大人と子供、それぞれの関係において教師は中間的存在として配置されるが何事においても受け身的であり関係性に作用するような機能は何ら果たさない。
指をくわえて成り行きを見守り、その曇った知性はなかなか核心に迫れない。


封建的な主従関係が村の基本構造である。
農奴として荘園での耕作に携わる以外に村人にとって生きる方法はない。
村人は、貴族である男爵とその男爵家に仕える家令にかしづき、一方、精神的にはプロテスタントの牧師の絶対的な影響下に置かれる。

村の子供達はそのヒエラルキーに準じつつ、しかし歪にねじ曲がった別個の秩序を形成していく。
大人にそれは見えない。
牧師の子供達がリーダー格となって統率し、他の子ども達は従属する他ない状況が窺える。

牧師の子供達は家庭においては息苦しい生活を余儀なくされている。
何しろ父親が村人の精神的な支柱たる牧師である。
厳格に躾けられる。

その象徴が白いリボンであった。
牧師は、子供達が純真無垢であるよう、そう願って子らの腕に白いリボンを巻く。

子らは良い子であることを強要され、アンビバレンツな欺瞞性を増幅させていく。
平気で嘘をつくだけでなく、嘘をつき通し、子供なのに政治的に動き、そして怖気走る程に他罰的となる。
しかし、教師は何も気付けない。
端々に奇異な兆候が現れても、少し不自然を覚える程度であり、関心はやはり恋人に戻って行く。

皆が立てば一緒に立ち、座ってなさいと言われればずっと座っているような人物であり、戦争が始まろうとしても、これで恋人と早く結婚できるかもしれないと考える。
この教師はどこまでもいつまでも茫としたままなのである。


映画において、唯一、村の医師だけが独立した知性を有し、主体的に判断し行動する人物であった。
危ういような葛藤を抱え彼自身にも眉ひそめたくなるような行為が見られる。
しかし彼だけが子らを取り巻く状況を感知し、謎を読み解くことができた。
村的要素を激しく嫌悪したのであろう、人知れず彼は子を連れて村を後にした。

しかし村人は医師が犯人であったのだと悪し様にこきおろすだけであった。


そしてサラエボ事件が起こる。
オーストリアの皇位継承者がセルビア人に殺害された。

オーストリア皇帝はセルビアに宣戦布告し盟友ドイツ皇帝は東に向かってはロシア、西に向かってはフランスに対し立て続けに宣戦布告した。

宣戦布告があった週末の日曜に礼拝があり村人が集まった。
映画のラストシーンとなる。
教師は語る。
「村は期待と旅立ちの空気に満ちていた。全てが変わるのだ」
教師自身も、恋人の父から恋人と一緒に暮らすことについて許しが得られ、戦争のおかげだと胸を膨らませている。

恋人と結婚し徴兵を経て仕立屋となったことを教師は語り、その後村人とは会ってないと付け加えて映画が終わる。


「その後、村人とは会ってない」というフレーズが暗示的であり聞き逃せない。

その後、村人らは未曾有の激動に巻き込まれて行くのである。

第一次世界大戦は長期化し国家総力戦となった。
延べ1000万人が亡くなり、オーストリアもドイツも敗戦国となって皇帝は消えた。

ナチスの前身となるドイツ労働党が結成され、政権を握るまでに成長していく。
村の子供達はこのとき一端の若者に育っていたことだろう。

ユダヤ人排除を旨とするニュルンベルグ法が成立し、盟友であったはずのドイツがオーストリアを併合し、第一次世界大戦の債務で行き詰まったドイツのポーランド侵攻が引き金となって、世界総計6000万人の死者を生み出す第二次世界戦争が勃発した。
このうちの一割は、ナチスドイツが行ったホロコーストによる死者である。
アーリア人の血統を保守するためニュルンベルグ法に基づき、ユダヤ人をはじめスラブ人、同性愛者、アジア的顔つき、黒人を殺害し、安楽死プログラムによって知的障害者、身体障害者を20万人も殺害し、延べにして計600万人もの人間を死に追いやった。


人類史上の大事件を招く芽のひとつが、村に潜在していた。
抑圧された村人や村の子らにくすぶる悪意や嫉妬や無関心や暴力、結果的にこれらが一揃いの動力となって、大禍に至る道を後押しした、そう見る事もできるのであろう。

白いリボンという純真無垢の象徴が、禍々しいものとして鮮明に焼き付いて離れなくなる。
純真無垢どころか、無意識裡に狂気を発露させかねないほどの抑圧の象徴であったのだ。

そして奇しくも第一次世界大戦が始まるちょうどこの当時、同じオーストリアでフロイトが精神分析について説き、やがてナチスに弾圧されるようになることも「白いリボン」の文脈に符号するように思えてくる。

人間の内面が社会に大きな影を落とす。
それを浮き彫りにするため、監督であるハネケがたいへんに重要な時と場所を選んで焦点を当てたのだと気付く。
この時代のこの地域において、間違いなく人の心に何かが起こり始めていたのだ。

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