KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ハネケの「ピアニスト」について2


エリカはワルターにすがる。
アイスホッケーの練習場に押しかけワルターに対し、望むとおりにすると、許しを乞う。

ワルターを前に女性として身を任せようとする。
しかし、生身の関係において受け身に身を委ねるコードがエリカの中には存在しなかった。
その行為はとても耐え難い。
エリカは嘔吐する。

愛想尽き、ワルターはエリカに対し「口が臭い、街を出て行け」と罵り、そして追い払う。

ホッケーチームの道具置場から追い出されスケートリンクをよれよれと歩くエリカと、リンクの上でフィギアスケートする若い女性のコントラストが痛烈で、エリカの姿が無惨極まりなく映る。

この映画において、スケートリンクは「エリカが属す世界の男女観」の象徴となっている。
スケートリンクでは女子が可愛らしくフィギアスケートし、ホッケー部男子は粗雑にリンクを走り回る。
そしてエリカは追い払われそこをよれよれと歩く異物であった。


一旦は追い払ったものの、しかしそれでも若い男子であるワルターはやはり気が済まない。
男としてその気にさせられたままでいる訳にはいかない、最後まで「する」という決着をつけずにはいられない。
欲望に突き動かされるままエリカの家に乗り込んで乱暴に振る舞う。
エリカはなされるがまま、そして、エリカの表情は空虚そのもの何も満たされない。

立ち去る際、秘密にしておこう、とワルターはさばさばと言う。
愛に傷ついても死ぬことはない。


演奏会の日、エリカはナイフを懐に忍ばせる。
会場では教え子らがピアノ奏者となるエリカに対し演奏が楽しみだと声をかける。
母が言う。
ただの内輪の演奏会であり、エリカはただの代役に過ぎない。
今では母の言葉など空気のようにしか感じないエリカであるが、このような思慮欠けた母の言葉によってエリカはどれほど傷つけられてきたことだろう。

会場へ入る皆を見送り、エリカはワルターを待つ。

開演迫るギリギリの時間となってワルターは父母やガールフレンド伴い現れた。
エリカはワルターに向かって進んでいく。

ワルターの母が話かけてくる、ワルターの父がエリカの手を取り挨拶してくる。

ワルターは、、あっけないほどの軽やかさで、そこを通り過ぎて行く。
エリカとの間に何もなかったかのように、爽やかな笑顔で、社交儀礼的な言葉を残し会場へと消えていく。

現実はドラマのように運ばない。
ナイフを忍ばせたところで、実際やすやすと相手を刺せるようなものではない。
対峙する間もないまま、ワルターはさらりと通り過ぎて行った。


ワルター含め皆は会場へ消えた。
一人そこにエリカは立ち尽くす。

涙が一筋流れる。
憤怒の表情が突如現れ、何の躊躇もなくエリカは自らの胸に刃を立てる。
もはや、空虚にされた内面を取り繕ってきた均衡は崩れた。
そして、エリカは「その世界」を脱するのだ。

「自らの狂気を悟り最後の一瞬正気にしがみつく、それこそ完全な狂気に至る直前の自己喪失を意味する」
シューマンについてアドルノが著した「幻想小曲集」の中の一節である。
初めて会った際、エリカがワルターに語ったこの言葉が清々しいような余韻伴って蘇ってくる。

アドルノが研究対象としていたキルケゴールに「決断の瞬間とは一種の狂気である」という言葉がある。
鬼気迫るまでの「自己喪失」をもってしか、エリカは再生の契機を得られなかったのだ。

含意に満ち示唆に富むこのラストシーンをこの先も忘れることはできないだろう。