KORANIKATARU

子らに語る時々日記

個人的な伝説の話1


家内が作る弁当について伝説化が始まっている。
長男のクラスで話題となり二男の塾でも注目を集める。
それら現場での情報が各家庭に吸い上げられ、保護者会などで顔合わすママ友らから賛辞を受ける。

しかし、元をたどれば断片を寄せ集めた伝聞情報である。
ナイフとフォークでステーキ食べてたよ、といった誇張的な話が、巡り巡って家内の耳に届く。
否定しようにも伝説化に対しては為す術がない。
強化されるか75日で終わるか、そのどちらかにしか行き着かない。

家内にとって弁当作りは何も精出し無理して行うようなことではなく、自然そのままにすれば「竜宮弁当」をこさえてしまうのであるから、これは強化されるベクトル以外にはあり得ないだろう。


一世代前ならミスター・ジャイアンツ、私たちの世代にはミスター・タイガースが存在した。

31番をつけた強打者は、我ら浪速の少年にとって日本最強のスラッガーでなければならなかった。
安芸キャンプの際は身なり構わずヒゲを伸ばし放題にし練習に取り組み、練習以外でも努力家なのでつま先立ちで歩き鍛錬を欠かさなかった。
その存在は、我らのプライドであった。

江川の魔球を易易とスタンドインさせることができるのはミスター・タイガース掛布雅之をおいて他には存在しなかったし、大柄な外国人打者押しのけてホームラン王取れると期待できるのは31番掛布雅之以外には考えられないのだった。

絶好のチャンスにボテボテのセカンドゴロを打ってゲッツー取られたり、内角ストレートを微動だにできず見送ったり、変則左腕に態勢崩されあれらもない空振りをしたり、そのようなことがあったとしても、掛布はこれから本気を出すのだと少年たちは「見なかった」ことにした。

そして、「見なかった」ことにしようとがっかりした直後、ライトスタンドへ大飛球ぶっ飛ばし、または江川のへなちょこカーブを流し打ちでレフトスタンドへ運ぶなど、すべて帳消し、やはり日本最強、どうだ見たかと、少年たちは興奮し大喝采を送ることになる。

我らがヒーローは、凡打繰り返そうが、いや、凡打を繰り返すからこそ、あのひと振り、あの大飛球が鮮烈に我らの胸に熱々刻まれ、だからこそ余計にヒーローとして確固たる存在となっていった。

かつての少年達はいまや恰幅のおっさんとなったけれど、三つ子の魂百まで、当時身につけた野球的文脈を媒介にし世界を認識し続け、あの大飛球の軌跡を時折は回顧し我が身の糧とし続けている。
ミスター・タイガースは凛と輝く北極星のごとく我ら世界の定点としていまなお君臨し、いついつまでも不動の4番打者のままである。


ソチ五輪にほとんど関心はなかったが、さすがに浅田真央には感情移入することとなった。

完璧のその先まで極めたキム・ヨナについては非の打ち所なく感嘆の溜息しか出ず遥か遠くの世界の美の体現者の域にあるのであって鑑賞するだけのこと。気を揉むことなどない。

しかし浅田真央については心配せずにはいられない。
素知らぬ顔などできるはずがない。

十余年に渡って世界屈指のレベルにあり続けたトップアスリートであっても、本番ではこけてしまう。
オリンピックはおよそ常人には及びもつかない極限の世界なのであろう。

その極限において崩れ去ることなく持ちこたえ、最後の最後に自らのベストパフォーマンスを観衆に披露したのであるから涙無くしては語れない。
不本意な演技からベストな演技までの間に横たわったはずの重苦しい空白に、見る者らの心は吸い寄せられた。

スポーツ報道の余計な意味付けなど全く無用であった。
見る者各々がその空白を我が身に引き寄せ、言葉を刻んだ。

ソチ五輪において浅田真央は後世まで語り継がれる伝説的な存在になったのだった。