KORANIKATARU

子らに語る時々日記

だから歩いていくんだよ


土曜の朝、ラグビーの練習場まで送って、夜は塾まで迎えに行った。
谷町筋にクルマ停め長男の登場を待つ。

このところ二男の送り迎えばかりであり、長男の送迎で二人クルマに乗るのは、久しぶりのことであった。
かつて頻繁にしたお迎えのちょっとした復刻版と言えるだろう。

午後から降り続いた雨がいつの間にか上がっている。
教室からぞろぞろと中学生が出てくる。
イヤホン耳に突っ込んだ長男がキョロキョロあたり見回しクルマを見つけて歩いてきた。


クラスの様子を聞いてみる。
7割方が近所の女子校の生徒であったという。
初日なのでまだクラスの男子とは言葉を交わしていない。
内容は簡単すぎる。
ダルイ。

おそらく出だしの小手調べ程度の内容だったのだろう。
気を抜かずしっかり取り組むよう念を押し、ついつい口を挟んでしまう。

勉強は本質的に退屈なものであり面倒なものである。
じっと椅子に座ってどうでもいいような事柄に注意向け頭を使わなければならない。
いつまでたっても針は遅遅と進まず、じれったい時間のなかをもがいて過ごす。
たまに興が乗ることはあっても例外的なことでしかない。

しかし、そのように無味乾燥ではあっても「強いて勉める」時間の集積が、力として結実する。

もっと楽しく夢中になれることを追いかけ、勉強放り出し教室を飛び出したいという気持ちは誰にだってある普遍的な願望だ。
じっとしていればいつだって、様々な気晴らしに誘われ、退屈紛らわせるあれやこれやが無限に浮かんで心をくすぐっていく。

それは避けられない。
しかし、熱中の対象とならずとも、そこにじっと座りその時間に粘り強く滞空し、やり遂げて行くことが大事なことなのである。

一朝一夕には身に付かず、得難いものではあるけれど、この習慣の力こそが将来に渡っての君の「核」となる。

面白くとも何ともない単調さに対峙し何かを積み上げて行く。
これができなければ百の力がある男であっても十も実らない。
あっちを掘っては止めこっちを掘っては止め、その変化はワクワク素敵に楽しいが、結局、最後には虫食いの無が残るだけとなる。


Billy Joel の This Night を流しながら雨上がりの高速を走る。

可愛い子いた?と聞いてみる。
長男は鼻で笑って言う。
みんな大人しそうという印象しかない。

「大人しそう」に見えて実際に「大人しい」ということはあまりない。
我ら33期が実体験によって得た生の声の数々を長男に説明する。

楚々と静かであったはずが、いつのまにか暴走する無遠慮な街宣車へと変貌する。
朝に夕に咎め立てる声は鳴り止まない。
夏に蝉が鳴くようなものだと慣れてしまう他に手だてはない。

ガミガミ言われた際には、爪を揉むといいらしい。
少しは心が鎮まって、耳の痛みも軽減されるという。

長男は他人事のように聞き流し、そしてまた鼻で笑った。

話題を変える。


「君のためなら千回でも」という感涙必至の映画がある。

映画の出だしでは、幸福に満ちた平和な頃の首都カブールが描かれる。
アジアの至宝。
かつてそう呼ばれるほどカブールは美しい街であった。

ところがソ連のアフガン侵攻をきっかけにし内戦状態が日常化していく。

勢力強める原理主義者による恐怖政治によって人民は疲弊し、あげくはアメリカからも攻撃を受ける。
街は破壊され尽くされ緑は失われ、カブールは見るも無惨なほど荒廃した街へと変貌していく。

このBefore、Afterの対比が、戦争の物悲しさを痛切に語る。

利害が錯綜し誰が善で誰が悪という単純な図式を寄せ付けない。
俯瞰すれば、善悪などは局面ごとの方便のようなものにしかずぎず、そんな次元を超えた人知ではいかんともし難い力学が働き、人民がそれに翻弄されていく。

いったん事が動き出した後では、こうまで人は無力なのだと思い知らされる。
憎悪が憎悪を呼び、もう誰にも止められない。


戦争が起これば全部がチャラになる、そういった恐ろしさが体感できる映画である。

主人公は父とともに難民としてアメリカに亡命しなければならなかった。
祖国での地位も名誉も財産もすべて失うが、留まればその程度では済まされない。

命からがらパキスタンへ出国し、そこからアメリカへ渡る。
威厳あふれる父が片田舎のグロサリーの店番をして糊口凌ぐことになる。
祖国では位の高かった軍人が廃品リサイクル業を営む。

どちらもアフガニスタンでは名士であり富裕層であった。
それがまた振り出しから始めねばならない。

いつだって、どこだって、私達はゼロになるかもしれない存在なのだと知らされる。

奪われることができないのは、身に宿し血肉となった力だけである。
それだけが最後の頼みの綱。

そう知った上で、サバイバルしていかなければならない。

だから、憂さ晴らしなどしている暇があったら、成長期は特にとことん鍛えあげることが大事になってくる。
どうあっても生きていかれる。
その基礎工事の時期なのであるから、ぼやぼやさぼれば竣工遅れるだけのこととなる。

長男は何も言わない。
生返事がないのはちゃんと聞いている証拠だろう。

「力」と言って、「力」が歩いて来るわけではない。
だから歩いて行くんだよ、と軽くメロディつけて歌ってみた。

長男は鼻で笑った。