1
いまの人生に引き続き、趣き異なる新たな人生が訪れるのだとしたら。
それはもう魅惑的な話であろう。
突拍子もないほど夢想的なものはさておき、今と自然に接続し、なるほどこのようになるのであったかといった会心の展開となる「第二の人生」。
そのようなことがこの先待っているのであれば、心ウキウキ、それに照らされマンネリ化した現在までも映えて輝く。
現状で満足、夢も希望もなく日常を送っていると未来への期待感は意識下に潜ってどんどん薄らいでいく。
一日を過ごす工程はますます代わり映えしないものとなり、心は硬化。
日毎のちっちゃなディティールくらいしか楽しみがなく、まあ良い人生であった、いつ死んでもええじゃないかという淡泊極まりない心境に陥っていく。
ところが、視線を上げて、まだ見ぬ次のステージ「第二の人生」といったものに焦点を当てると様変わり。
たちまちのうち、満更でもないような気持ちになってくるのであるから現金なものだ。
人生前半は人生後半のための準備期間であると巷間よく言われる。
45歳など、まだまだ所詮は準備の段階。
やがては後半戦が訪れる。
さあ次は、そう思い巡らせることは必ず必要なことであるようだ。
2
家内が写メを送ってきた。
どれどれと開くと私の写真であった。
私の腹部。
用事先からクルマに戻る際、車内で待つ家内が撮影したものである。
男45歳、どういうわけか引き締まったままの友人もいるけれど、何人かは腹が出はじめた。
それが自然の摂理、宇宙の法則なのだと私は説明するけれど、そうは問屋がおろさない。
家内はもはや見逃してくれそうにないようだ。
「痩せろ」という無言のメッセージ。
まるでリベンジポルノではないかと思いつつ、写真を眺める。
やがて、自分の無様さが哀れに思えてきた。
根が真っ直ぐな性格であるから、何事も真正面。
自らの姿も正面から見ることしかないので、間の抜けたような「膨らみ」にこれまで真剣に向き合うことがなかった。
これはなんとかしないといけない。
一枚の写真が、私を強く促し始める。
今更男前になってどうのこうとかそんな色気はないけれど、やはりどうであれ、腹は凹んであったほうがいい。
それでふと思いついた。
これを一つの契機にしよう。
第二の人生の鐘は、ここで鳴る。
勝手にそう決めた。
人生航路にあらかじめ仕切りの線が引かれているわけではない。
節目は、自分で自由に決めればいい。
思い出す。
長男が生まれた時、私は体重80キロだった。
そこに戻ろう。
学生時代は70キロだったが、あれでは見すぼらしいし頼りないにも程がある。
もっとも戦闘的で活力みなぎっていた当時、体重は80キロ。
たったの8キロ戻れば済む話。
容易い話だ、どうってことない。
80キロになれば、第二の人生が始まる。
話は決まった。
希望をそこにセットする。
そこに向け、他のいろいろなことも照準を合わせればいい。
体重が80キロになったとき、第二の人生の鐘が鳴る。
盛大に鳴り響く。
3
もちろん、一人勝手にそう決めたところで、何もない、という可能性はある。
そして、もちろん、80キロにまで至らない、という可能性もある。
第二の人生の幕が開いたはずなのに、題字タイトルのまま、何も始まらない。
あるいは、幕が降りたまま。
そうなれば、そうなったときのこと。
そのとき考えればいいことである。
大事なことは、第二の人生の時の鐘はいつか必ず鳴る、そう信じて、日々楽しく前を向いて過ごすという点に尽きる。
心弾ませて過ごすのであるから、おそらくは好循環な作用が生じて、自己成就的に良きことが起きるに違いない。
自分に対する一種の願掛けみたいなもの。
古びたやり方こそが、時には正しい。
4
自宅前の公園で、子らが近所のちびっ子にラグビーを教え泥んこになって帰ってくる。
シャワーを済ませリビングに上がってくるのをしばし待つ。
家内が皿を運んで夕飯の支度を仕上げる。
久々、食卓に4人揃った。
前に長男と二男が座り、横に家内が腰掛ける。
勉強の話、友達の話、先生の話、子の話が続く。
質問があり、意見があり、反論があり、と数々の話題を家族でキャッチボールしていく。
名店「たこや」であるから、さすがにそこで買ったタコはかなりの上出来。
おまけにカツオのたたきも相当うまい。
私は食べ物の話ばかりし、思いついたばかりの「第二の人生スタートプロジェクト」についてはおくびにも出さない。
思いついただけの話である。
自分の人生であるからそれを考えるのは楽しいことであるにしても、現状ではそもそも第二の人生の青写真すらもない。
しかもそれ以前、その鐘を鳴らすため、どうすれば80キロになれるのか、それについてもアイデアがない状態。
まずは、そこから。
ダイエットの方法を考えることから始めなければならない。
しかし、きっと楽しいダイエットになるに違いない。