KORANIKATARU

子らに語る時々日記

さらば名店2

「食べたほうがいいですよ、日本一の寿司ですから」

森先生にそう促され家内とともに列に並び、食べてはまた並ぶということを繰り返すことになった。

 

それが鮨 さえ喜とのはじめての出合いだった。

 

遡ること3年前。

春から初夏へと差し掛かろうとする日曜日。

舞台はグレート・ギャツリー宅。

 

その日、ギャツリー宅の庭に名店集い各種の料理が振る舞われた。

 

善道が中華、堂島精肉店がステーキ、料亭ばん東が手打ち蕎麦、北新地セルパンがカクテル、辻調理師学校フランス料理の重鎮がオムレツ、さえ喜が寿司。

 

一堂に会するなどあり得ないような奇跡のラインナップであり、こうまで豪華な布陣に囲まれれば為す術もない。

居合わせた誰もが食いしん坊に変貌するしかなかった。

 

解き放たれた食の煩悩が嬉々として芝生のうえを駆け巡っていた。

そのなか、ひときわ多く人を集め盛況であったのが、さえ喜が陣取る一角であった。

 

わたしと家内にとって忘れられない日となり、あの日曜日は至福の日としていまも屹立している。

 

月日流れて、今年の2月。

ギャツリーの取り計らいにより、さえ喜の席にありつけることになった。

安本会メンバーのなかに混ざり、わたしは家内を伴い参加した。

 

これまた思い出のなか屹立する日となった。

 

そして、あれから10ヶ月。

2月と全く同じメンバー11人が、昨夜さえ喜のカウンターに顔を揃えた。

 

これがわたしと家内にとって3回目のさえ喜体験であり、そしておそらくはこれが最後なのだろう。

 

破格のオファーがあったとのことで、来年さえ喜は京都南禅寺に拠点を移し、時を置かず東京銀座にも店を構えることになる。

当代一の名匠は、東西の都を行き来することになり、大阪とは縁遠くなっていく。

 

わたしと家内にとっては、記憶のなかだけの存在、つまり神話同然といったような話となる。

 

この夜、さえ喜の厨房スペースにでんと鎮座する雲井窯のご飯鍋が目に留まった。

 

夫婦で信楽にある雲井窯を訪れまもなく二ヶ月。

そろそろうちにも注文したご飯鍋が届く。

 

鍋を見る度、夫婦してさえ喜の思い出話にふけるということになるのだろう。

 

もうその鮨にありつけることはないだろうが、思い出があるだけまし。

ほんとうにいい寿司を味あわせていただいた。

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2014年4月13日 さえ喜の鮨に列