研伸館の先生に話を聞いた。
大阪星光の先生はのんびりしているように感じられる。
西大和とは対照的。
研伸館が西大和の校内で講座を受け持つようになって5年になる。
西大和の前学園長が研伸館を訪れ直談判したのがきっかけだった。
生徒の学力向上が主眼であるが、波及的に西大和教師陣の指導力も増す。
そのような狙いが背景にあった。
様々な取り組みが積極的になされ、いまや西大和の教師陣は人材の宝庫のように見える。
先生の来歴を聞けば驚く。
各教科に渡ってその道の代表格が綺羅星のごとく居並び壮観。
うちの息子がかつて言った。
勉強したいと意志する子にとって西大和は最高の学校である。
ここまでやってくれる学校はない。
彼はそう断言した。
その上で近頃は通塾についても理解を示し、そのバックアップ体制も整いつつあるので、鬼に金棒とはまさにこういうことを言うのだろう。
比較すれば大阪星光は先んじられたようにも感じられる。
が、のんびりしていると言われるその分、先生の滞留率は高く在職年数は長期に及ぶ。
見知った先生が卒後何十年経っても学校にいる。
その不易が母校を近しい存在のまま押し留めてくれるので、これは良いことであると言っていいに違いない。
だから、今回の定期考査で化学の学年平均が40点という話題になって保護者のお母さま方が事態を憂慮しても、笑って返答できる。
30年以上の長きに渡って星光生はこの授業を受けてきた。
それで何も困ったことは起きておらず、33期の川上亘作くんはじめ化学分野の専門家として名を馳せる者も少なくない。
社会に出ればマッチョな世界が待ち構えている。
力の論理で構築された文脈のなか、価値を表出させ続けなければお役御免となって切り捨てられるのであるから世知辛い。
存在意義が備わるよう常に自らを鍛えねばならず、自身の価値について常に自問自答し続けねばならない。
しかし学校は、社会とは一歩距離置き、どちらかと言えば家庭的な場所であってもいいのではないだろうか。
そうでなければ、わたしたちは一体いつどこで他者への思いやりや助け合いの精神を学ぶことになるのだろう。
長い付き合いになれば、そこには別の価値が生まれ意味が生まれる。
慣れ親しんだ誰かが不在になれば、心にぽっかり穴があく。
化学など些細なこと。
自分で勉強すれば済む話であり、人を大事に思う気持ちの方がはるかに重要だろう。
話は大きく逸れるが、これは男女の間でも同じことが言えるように思える。
縁あって何年も付き合い、それなのに自分の都合で相手を切って捨てれば、これは罪作りな話以外のなにものでもない。
負の雨が降り止まぬような心象に相手を陥れるようなものであり、それで生じる怨嗟は誰か第三者に対しても良からぬ影響を及ぼすかもしれない。
そして、切って捨てる側にとっても同じこと。
呵責のようなものが寝ても覚めてもつきまとい、ふとした拍子に表情が曇るということになる。
だから、付き合うなら長く、が最重要な前提となる。
ダメだと思えば結論は早いに越したことはないが、長い付き合いになったのであればそれ自体が価値であるから、その価値を大切にし後ろ向きの結論は選択肢に入れない。
そう腹を括って、気に入ったと決めた人と長く連れ添い迷いなく過ごす。
心という観点でみたとき、これがベストな姿勢と言えるだろう。