息子たちと朝のひとときを一緒に過ごす。
朝食は牛肉炒飯と太麺焼そばのハーフ&ハーフプレート。
彼らは揃ってお代わりしたので結局、炒飯も焼そばも一皿ずつ食べたのと同じことであった。
学校に向け出発する彼らを送り出し、わたしは武庫川に向かった。
先週より寒さ厳しい。
晴れ渡る空のもと、木陰は避け陽の当たる場所を選んで走った。
シャワーを終え、さあ今日一日どう過ごそうか家内に伺いを立てる。
家内は言った。
心斎橋にいい眼鏡屋がある。
大賛成とは思わなかったが、山でも川でもどこへでも行くつもりだったので心斎橋であっても異存はなかった。
かねてより眼鏡と鞄を買い換えるよう家内に勧められていた。
面倒なので先延ばしにしていたが、今日この期に及んではもはや拒めない。
クルマ走らせ西長堀で高速を降り、四ツ橋界隈にクルマを停めた。
まずは腹ごしらえ。
西区新町は隠れ家的な名店がひしめき合っている。
ビジネス街に隣接するので平日は人で混み合うが、土日の表情は落ち着いている。
静か佇む街の通りを家内とともにぶらぶら歩く。
ともにジーンズとスニーカー。
休日仕様の気楽な格好である。
人影は少ないが、だからその分、長い行列があるとかなり目を引くことになる。
一つは、らくしゅみ。
カレー屋のようである。
もう一つ、待ち客が長蛇の列なす店があった。
ピッツェリア・ダ・ティグレ。
何の店かはその名から一目瞭然であった。
いつか来てみようと家内と話しつつ、わたしたちは中華の名店「時の葉」の列に並んだ。
12時に店が開き、窓際のカウンター席に並んで腰掛け二人揃って土日限定のコース料理を頼んだ。
中身盛りだくさんで味も申し分なかった。
ゆっくり一時間かけ料理楽しみ、濃厚な担々麺と澄み切ったスープのワンタンメンで別腹もうまって、とてもではないがデザートの杏仁豆腐まで手をつけることはできなかった。
いつもおいしい店を選んでくれてありがとう。
家内にそう礼を述べ、いよいよこの日のメインイベント、買物に繰り出した。
歩いて数分、心斎橋某所。
家内に連れられ入った眼鏡屋は確かにいい店で、品物も上質であったが、想定以上に値が張った。
眼鏡は必要かもしれないが、その値段が示すのかもしれない価値をわたしは必要としていなかった。
どのようなものをお探しでしょう。
話しかけてきた店員に、予算が合わない旨告げ1分足らずで店を出た。
ちょうど近くに眼鏡市場があった。
わたしの後に店を出てきた家内を今度はわたしが先導した。
人には相応な場所がある。
眼鏡市場においては、表示される値段とわたしのなかの価格感が違和なく合致し、わたしはそこに居心地の良さを覚えた。
これなら万一壊れて買い直すとしても気が咎めない。
実用に供するものについては、気軽に買い直せる値段であることが実際的であり経済的だと言えるのではないだろうか。
わたしの等身大はそこにあり、だから似合う品がいくつも見つかって納得のいく買物をすることができた。
続いては、鞄。
ぶらり散歩がてら、ことのついでに子らのスニーカーを選び、歩くうちわたしの鞄も安くていいのが見つかった。
その他、日用品などあれも買っておこうこれも買っておこうとなって最後には、そばやうどんといった子らの夜食のほか香辛料といった食材も買い揃え、あちこち移動したのでくたびれ果てたが大満足の買物が果たせた。
帰途の車内、家内が言う。
もっといい鞄を買っても良かったのでは。
ごくごく若い頃、東京で働き始めたときなど、高いものが自分の足しになると思って、無いお金をつぎ込んだ。
結果、それで一人前になったつもりになっただけであり、実際に足しになったものは何もなく、一冊の本や映画や友人との飲み会の方がよほどためになった。
そうと分かって以来、高いものなど無駄に思えて買う気がしない。
買う人の気持ちは分かるがわたしは早い段階でいち抜けた。
それにもし万一、そういったものがどうしても必要となるなら手の届く範囲でいつでも買える。
しかし不思議なことに、いつでも買えると思うと値打ちが薄れるのか、それが必要だという渇望や飢餓感が全く消えて、自分のために何かが欲しいと思う気持ちとますます無縁になっていく。
子らも男であるからぜひそうあって欲しい。
皮を飾るものには頓着せず、中身の充実に関心を持つ。
そうすれば、大は小を兼ねる、である。
皮を取り繕う必要など全くなくなっていくだろう。