帰宅すると家内がNetflixでドラマを鑑賞していた。
ソファのクッションにカラダを預け、とても楽しそうに見える。
画面を覗き込むとあらすじと登場人物について家内が説明をしてくれる。
やはり家内が実に楽しそう。
ドラマの内容より何より家内が楽しんでいるということにわたしは深い満足感を覚えた。
腹筋とスクワットではなく、この日は走ることにした。
武庫川に出る。
夕風が吹いて心地いい。
ゆっくりと走る。
一歩ごと一日の疲労がほぐれていく。
最近、雨が続いた。
その分、川の水量が多い。
流れに勢いがあって、白く泡立つ水流のボリューム感が目に涼しい。
海に向かって走り臨港線に至ったところで、山に向かって折り返した。
六甲の山々が西陽を正面から受け輝いて、いつにも増して大きく見えた。
ちょうど一時間。
走り終えてコンビニ向かった。
ジョギング後の楽しみは缶ビール。
店の前にて腰に手をあて、ゴクリ飲み干す。
遠く向こうに連なる六甲の山並みが真正面に望める。
緑の香をたっぷり含んだ風がそこからまっすぐこちらに吹いてくる。
なんて幸せなのだろう。
そうしみじみ感じ入って直後、これまでずっと静穏に浸っていた訳ではないということに思い至った。
すっかり忘れていたが刻苦の日々があり、まるで檻に入れられたかのよう、窮屈な思いで過ごす日々もあった。
それは家内も同じだろう。
夕刻、のんびりドラマを楽しむなど、たとえば子育ての真っ最中には考えられないことだった。
労苦が絶えぬなか、家内にとっていちばん大変だったのは長男が中学受験を控えた時期だったのではないだろうか。
特に浜学園から能開センターに長男を転塾させたとき。
受験が2ヶ月後に迫る11月。
ラグビーに明け暮れていたこともあり、勉強について彼にはもうひと押し、親身のサポートが必要だった。
弁当をこしらえ小学校で息子を拾い、西宮から上六まで家内が連日彼を運んだ。
家内がするのと同じくらいの熱量で、能開センターも息子のために尽力してくれた。
いま思っても感謝の念が湧いて出る。
あそこまで手をかけてくれたなら、誰だって志望校に合格するだろう。
それくらいに手厚く息子に接してくれた。
はじめから能開センターに入れておけばよかった。
夫婦でそう意見が一致したので、善は急げ、二男も小5になると同時、兄と同様に転塾させることにした。
結果、息子二人が無事中学に合格し、そこで数々貴重な出会いに恵まれた。
元を辿れば、能開センターの先生方のおかげといっていい話である。
当時の思い出を振り返りながら、家に向けぶらり見慣れた景色のなかを歩いた。
町並みの映り方は、そのときの心象が投影されて時代時代で幾分異なる。
わたし自身にもたいへんな時期が幾つもあった。
それでも刻苦の日々が若い時分のことでほんとうによかった。
刻苦とがっぷり四つに組み、そのおかげ耐性ができたのではないだろうか。
だからいまは静穏にひたっていても、いざとなればかつてと同様の熱量で対峙できるような気がする。
もちろん、このまま静穏であれば何より、言うことなしである。