KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大人になればハードルは低く呼吸は楽に

遠い記憶になりつつあるが、昨年は二男、三年前は長男が東京に赴いた。

ちょうどいま時分の話である。

 

慶應を手始めに早稲田を経て東大に挑んだ。

 

出だしから生易しい相手ではなく、どこも難敵であったが、そのタフでハードな戦いを順調に駆け抜けて、本人らの戦闘力は場数の分だけ増していった。

が、最後の壁は厚かった。

 

結局跳ね返されて、二人の大学受験はともに黒星で締め括られることになった。

しかし、アウェイの地に腰を据え激戦のなかに身を投じた経験は意義深く、兄弟でそれを共有できるということも後々大きな意味を持つだろう。

 

結果をみれば、やはりカエルの子はカエル。

一見そのように映る。

が、兄弟揃って学力はこのヘボ親父のはるか上を行っていたことは間違いない。

二人と較べ国語でわたしはひけを取り、英語については太刀打ちできず、数学だってかすりもしない。

 

が、悲しいかな、父がわたしであったから彼らがその引力圏に置かれたことは否定し難く、結果、わたしが足を引っ張ったとも言えそうだ。

 

理数系が得意でそれでイキって理系に進み、やがてわたしは頓挫した。

わたし程度に理数ができても意味がない。

学生時代にそう悟って意欲は湧かず、かといって引き返すこともできず何ら関心の持てない世界で持ちこたえ、苦悶とともに試行錯誤しなんとか文系職にたどり着き、それでようやく落ち着いた。

 

だからわたしの内心に「ああ、最初から文系に進んでいればよかった」といったフレーズがこだましていたとしてもおかしくない。

つまり、こんなわたしの内面が実は息子二人に投影された。

そんな仮説も成り立ち得る。

 

実際、息子二人が進む道は、「人生をもしやり直すことができるなら」とわたしが願うような道とも言える。

意図した訳では全くないが、そうなっているのだから、やはり、そうなのかもしれない。

 

だがしかし、これを悪影響と決めつけるのはまだ早い。

ヘボ親父であってもその在り様を参照し、こんな程度でもいいのではないか、と感じたのであれば、それはそれで好作用と解することもできなくはない。

 

名付けて、こんな程度でいいではないかトリオ。

根本部分で相通ずる訳であるから、今後ますます仲良くやっていける。

そこに着目すれば、それはそれで何とも楽しみなことと言えるだろう。

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2022年2月16日朝食 参鶏湯と豚のネギ炒め