生きていれば不安がつきまとい、夢に潜在的な不安が反映される。
定番とも言える夢が幾つかある。
何が心に大きな影を落としていたのか。
夢を通じて理解が促されることになる。
試験前日の場面など、ヘビロテされる夢の筆頭に挙げられる。
明日が試験なのに準備が全くできていない。
焦って狼狽え、差し迫った窮状が極まったところで、目が覚める。
肩で息しつつ、もう試験とは無縁の身であると気づいて安堵して、試験が強いた心的負担の度を思い知る。
ヘビロテのパート2には、家賃の夢が来る。
学生時代のこと。
一日でも支払いが遅れると、大家である巨漢のおばさんがやってきて部屋のドアを乱打した。
そのようなことが二度ほどあった。
思い出すだけで身がすくむ。
だから、夢でも定番になった。
旅行中か帰省中。
リラックスして過ごし、ふと気づく。
あ、家賃を払い忘れた。
巨漢のおばさんが荒れ狂う。
その様子が思い浮かんでいてもたってもいられない。
平静を失い慌てふためき、目が覚める。
もはや家賃といったものとは縁がない。
いまの境遇に思い至って、ほっと胸を撫で下ろす。
あの巨漢のおばさんはいまも存命中なのだろうか。
プレッシャーの方はまだまだ健在、いまも生き長らえている。
そして、この夜、肩で息するパート3とも言える夢を見た。
夢の舞台は昔の実家。
母がいて弟や妹がいる。
そこで突如わたしは気がついた。
まだ未婚。
結婚しなければならない。
と、思って更に気づく。
えっ、わたしはもう五十過ぎではないか。
その気になればすぐに相手など見つかる。
そう思って心当たりを探すが、見渡せど見渡せど、肝心の相手が見つからない。
寂寥が募り、孤独な我が身を憐れみ嘆いたところで、目が覚めた。
わたしには女房がいてアホで元気な息子が二人いる。
日々あれこれ賑わい、実に楽しく孤独と無縁。
ああよかった、と安心感が込み上がった。
持って回ったやり方で、心が平穏を取り戻す。
夢はそこらドラマのハラハラドキドキをはるかに凌ぐ。
パート4には何が来るのか。
過ぎ去った不安の種は懐かしのヒール役のようなものと言え、潜在意識のなか目下現役バリバリで活躍している。
夢で逢うのが、怖いような楽しいような。
わたしを苛んだのであるから忌避感を覚えるが、わたしの本質を照らし出すという点で興味深くもある。
パート4は寝て待て。
万一の場合には家内がわたしを夢から助け出してくれるだろう。