訃報として伝えられた名は身近な人物であった。
ニュースサイトを確認し、亡くなった際の記事を読むが、どうしてそのようなことが起こったのか全く意味が分からない。
先の五月下旬、前に座って機嫌よくお酒を飲んでいた姿が思い出される。
大阪星光同窓会の集まりのなか、他の期でわたしが言葉を交わす人は数えるほどしかいない。
もっぱら話をするのはたいていその方お一人であったから、飲み会の度わたしの方から前に座った。
だから、いろいろと思い出多く、滞在中の徳島は祭りの真っ最中であったが何度もその面影が頭をよぎった。
五十を過ぎていまだ訃報には慣れることができない。
しかし、若い頃に較べて衝撃の度は大きくないようにも思える。
この歳になって死がだんだん身近に迫ってきているからなのかもしれない。
眼前を老若男女が二拍子のお囃子に乗って軽快に踊って通り過ぎていく。
その光景は生の歓喜そのものとして映る。
しかし、例えば百年前。
同様に生を歓喜し踊った人たちがいて、それら大勢の人々は通り過ぎたままそれぞれの帰結を経ていまは還らぬ人となった。
わたしたちの行き着く先は、死であって避けられない。
いつ何時かも定かではなく、遅かれ早かれ、そこに呑み込まれていく。
ついこの間、お酒を飲んで饒舌に話していた目の前の存在が、そのときには全く想像もできない形で、いなくなった。
生死は対置されるような事象ではない。
死という広大無辺に、一瞬わずか、死の一部として「いま」という特異な現象が存在するだけ。
そう感じざるを得ない。
いつかわたしという「いま」も向こうへと引き入れらる。
そのとき前の席が空いていればそこに座ってまたその語りに耳を傾けたい。