息子の下宿は東京ドームから歩いて10分ほどの場所にある。
が、親としてそこに泊まるといった選択肢はない。
子どもの下宿に泊まる親もいるとは聞くが、わたしたちはそんなことを考えたこともない。
長男の下宿も二男の下宿もわりときれいでそこそこの部屋であるがそこに潜り込んで良い眠りが得られるとは思えない。
だから当初からわたしたちはホテルを利用し、予定が合えばむしろそこに息子らを呼んだ。
この日、周辺のホテルはどこも満杯だった。
東京ドームではブルーノ・マーズが、武道館では髭ダンディズムがコンサートを行うとのことで、空きを探すのは簡単ではなかった。
コロナ禍での外出自粛といった話はもはや遠い昔の出来事となったのだった。
コンサートの翌日、家内は銀座で待ち合わせて再び長男と顔を合わせた。
ラーメンを食べ、三越でストーンアイランドのコートを試着し、目当ての黒がなくそこにあるのは紺だけで、紺でもいいかと息子は思いかけたが、店員が言うには、黒がおすすめだとのことで、大阪の阪急になら在庫があると教えてくれた。
では大阪でとなって、近くでお茶してカレーを食べて息子はバイトに向かった。
最近、銀座の洋服屋で働き始め、客は大半が外国人だというから彼の英語力はますます練磨されていく。
家内を乗せた新幹線の到着予定に合わせ、わたしは新大阪駅に向かった。
先日は二男と過ごし、昨日と今日は長男、そして大阪に戻ってくればわたしがいる。
家内にはひと声かければ姿を現す男が三人もいるのだった。
なんと心強いことだろう。
そんなことを思いながら、午後6時過ぎ、改札で家内を迎えた。
そして久々、その二万語に耳を傾けることになった。
東京と大阪ではまるきり異なる。
そんな話が始まった。
京セラドームでは、ずっとブルーノ・マーズを映せばいいのに、客席の安っぽいようなモデル崩れがしきりに大スクリーンに映し出され、ファンらの顰蹙を買った。
ブルーノ・マーズが見たいのに、そんなギャルたちのウインクやハートサインといった陳腐な媚態を無理やり見せられ、それはまるでどこかホテルのプールで自撮りしてインスタにアップした水着姿を見せられているようなものであったから、顰蹙は次第、怒りに変わった。
幸い、東京ドームではそのような趣旨不明の仕込みや演出は一切なかった。
カメラワークひとつにも、東西のセンスの差が如実に表れていた。
そんな話を聞きつつ、道中、電話で問い合わせると一度行ってみたかった焼肉屋にたまたま空き席があったから、地元の駅で降り、そこからタクシーで武庫之荘に向かった。
大阪から東京へとブルーノ・マーズを追い息子らとも交流した。
家内にとってその打ち上げとも言える夕飯となった。
帰りのタクシーで週末の予定を話し合った。
秋の深まりとともに記憶が濃密になっていく。
幾つもの良き思い出が間近に迫る。
どんな語り草と出合えるのか。
未知との遭遇に心が弾む。