春が刻一刻と近づく月末、息子たちのための家賃を払い生活費を送って思う。
まもなく長男が卒業となり自活をはじめる。
学費も合わせるとそこそこの額であったが、それがいつまでも続く訳ではないのだった。
振り返れば実に感慨深い。
子らの成長に伴いなんとかなってきた。
ほんとうに不思議なものである。
駆け出しの頃、懐事情は「赤」が付くほどの「貧」であった。
それがいつしか「赤」の度が薄れていき、息子らの成長に併せて必要な分が自力でまかなえるようになっていった。
つくづく思う。
息子たちは自ら必要とするものを携えてやってきたのだった。
だから子を設け、それで得したのはわたしに他ならない。
成長に必要となるものを息子たちがおぎゃーと泣いて引き寄せた。
それで生じた流れに巻き込まれわたしまで成長したのであるから、やはり彼らが特需を生んだ、というしかない。
結果、「貧」の前にべっとりと重く張り付いてた「赤」はいとも容易く引き剥がされた。
この日、出先での業務が早めに終わった。
家内も留守だから飲んで帰りたいところであったが、月曜日。
わたしはさっさと家に帰ってジムへと向かった。
そしてプールで泳ぐ恍惚のなか、息子らが巻き起こした流れに乗ってわたしも浮かんだのだとの思いが確信へと変わっていった。
その証拠、息子らが生まれる前は、わたしにとって暗黒の時代だった。
何がおもしろくて生きていたのだろう。
はて?
首をかしげて、答えが出ない。
それなり楽しく生きていたのかもしれないが、息子が生まれて宿った光の前では、何もかもがくすんで見える。
ジムを出て、どこかへ食べに行くのも面倒なので日曜と同様、成城石井で惣菜を買って帰った。
炭水化物過多の選択となったから家内がいればどれも口にするのは許されなかっただろうが、幸か不幸か家内は留守。
勢いよく平らげ、一抹の罪悪感が胸に生じて改めて家内の存在の大きさに思い至ることになった。
よき目付役があってこそ、よき秩序が保たれる。
たとえるならばボクサーにとってのセコンドのようなものだろう。
セコンドの巧拙が試合の行方を左右する。
セコンドがろくでもなければ勝てる試合を取りこぼし、セコンドが優秀ならば負ける試合であっても番狂わせが起こり得る。
つまりわたしは息子らが引き起こした気流に運ばれ、かつよきセコンドにも恵まれた。
家族を得て、もっとも得したのはわたし。
ひとり家で過ごし、そんな厳然たる事実に行き当たった。