仕事は仕事であって、趣味や道楽とは似ても似つかない。
前者は歯を食いしばるものであってかつ切り抜けるものであり、後者のように待ち遠しいと思うことなどまったくなく、だからどう詭弁を弄したところで実のところ重なり合わさる箇所さえ見出だせない。
たとえば週末に業務が入ったとして、その業務は決して旅行と並び立つものではない。
業務か旅行かどっちにしよう。
そう嬉々として迷うことなどあり得ない。
前者は余儀なくされるものであり、後者はお預けとなるものであるから、やはりまったく相容れない。
もちろん、仕事があってこそ暮らしが成り立つ。
だから受け入れざるを得ず、そんなときは腹を括って前向きに取り組むが浮かぬ表情は隠し通せるものでなく自ずと笑みがこぼれる旅行とはその点でも大いに異なり、しかしそこまで言えばくどすぎるというものだろう。
先週末、わたしは業務があって家に留まり、一方の家内は旅に出た。
今週末も同様。
だから似て非なるものの度合いがより明瞭に検証できる。
女房であるからその喜びを我が事にできるにしても、もし他人であればとちらと想像するだけで彼我の差に複雑な思いがもたげて押し留めようがない。
しかももうこの歳である。
週末はもちろん平日も仕事せずとも暮らしていける。
そんな家内の立場は、どうあってもことほぐべきものであり、わたしだってあと一歩でそうできるのかもしれないと夢想すれば、一生仕事といった志しなどゆらりゆらいで風前の灯となる。
何をどうしたところで甘いものは甘く辛いものは辛い。
真横に座る家内が旅のエピソードを語って様々な写真を見せてくれる。
仕事より旅行がいいとわたしの本心はいとも容易くビシバシ反応するのだった。