京都での業務を終え家内と合流した。
美容院に寄ってきたのだろう髪型がばっちり決まっていて、おろしたてのグリーンのワンピースが目に清新。
蒸し暑さがやわらいだような気がした。
夜にワインが主題のディナーが控えていた。
つまりこの日は「飲み仲間」復活の日と言えた。
あとは家内に連れられて動くだけ。
思考をオフにし、ああ楽しい。
長く「飲み仲間」であり続ける夫婦であったが、このところ互いお酒から一歩の距離を置き始めていた。
家内の主題は美容であり、わたしの主題は仕事。
大事なことを本当に優先するのであれば、もうこの歳である。
取るべき方針は明らかなのだった。
かつて、うちのおかんは言っていた。
カラダだけ健康やったらええねん。
その意味がいまとてもよくわかる。
カラダが資本で、突き詰めればこの脳みそが仕事の成否を左右する。
もとよりオツムの性能はいまひとつ。
そして誰かが何とかしてくれる訳ではなく、一休さんが知恵を貸してくれる訳でもない。
であれば、日頃から整備し、よき出力が得られるよう最善を尽くしておかねばならない。
しかし不思議なものである。
この歳になって、母の言葉が身に沁みる。
母は他界してしまったが、いまもこうしてその言葉が実質を伴ってわたしに作用する。
それで飲みつつ、夫婦で話し合ったのだった。
親の影響は侮れない。
だから今後息子らと食事する際は、飲まない姿を見せるべきではないだろうか。
親として息子らにどうあって欲しいのか。
口で言うより実地で示す方がはるかに説得力があるに違いない。
だから、この日のように肩肘張らず夫婦で「飲み仲間」となることもあり、その一方、結構多くの場面でわたしたちは「飲まない仲間」であり続けることになるだろう。
大事なものを大事にする。
そのように夫婦で価値観が一致して、おそらく多分、わたしたちは正しい道へと導かれている。