気持ちの準備はできていた。
一難去ってまた一難。
これまでの流れを読めばまた何か起こっても何ら不思議なことではなかった。
機中から外に目をやると眼下にスコットランドの大地が広がっているのが分かった。
窓外に別の世界が出現する。
この瞬間、いつだって胸踊る。
未知の広大無辺へと足を踏み入れる喜びは人という種族にあらかじめセットされたものなのだろう。
無事に機は着陸し、わたしたちは荷物を受取るためBaggage Claimにて待機した。
早々に家内の荷物は姿を見せた。
が、わたしのものが待てど暮らせど現れ出る気配がない。
ああ、やはり。
悪い流れはまだ断ち切られてはいないのだった。
何周もレーンが回り、いったいそれが荷物なのか何なのか誰かの片方だけのサンダルが周回するだけとなって、眼前の光景はシュールなことこの上なかった。
わたしは思い出していた。
25年前のこと。
ヒースローからスキポール空港へと移動した際、おみやげをたんと詰め込んだスーツケースが出てこなかった。
ヒースローが絡むとロクなことがない。
まもなくレーンの動きが止まった。
わたしは隣接するバゲージオフィスの職員に荷物預りの控えを見せて調べてもらった。
職員は言った。
荷物は次のターンですぐこのレーンに乗ってやってくる。
ここで待っていればいい。
ただ待てばいいのか?
そうただ待てばいい。
職員は笑って言った。
しかしレーンはそのあとも全く動き出す兆しさえなかった。
わたし同様、荷物と再会できない方々がオフィス窓口に詰め寄った。
家族連れなど全部で10組はいただろう。
ひとりロスからの観光客は職員に告げられた。
あなたの荷物はどこかで消えた。
その後の消息は分からない。
ここに出てくる可能性はあるが保証はできない。
それに比べればわたしの状況はまだマシなものに思えた。
誰もが辛抱強く荷物の出現を信じ待っていた。
その毅然とした立ち姿を横目にして思った。
生きていればいろいろとある。
荷物が出てこないくらいで打ち砕かれている場合ではないのだった。
スキポールでは翌日になって荷物が出てきた。
ここエディンバラでも次のターンなのかどうなのか、いつか出てくるのだろうが万一出てこなかったところでそれで命まで奪われる訳ではない。
荷物は失われるのかもしれない。
諦観の度が高まるにつれ、大事なものが何なのかより鮮明になっていった。
諦めがついてそろそろ立ち去ろうと思ったとき、不意にレーンが動き出した。
レーンの端からバックパックが出てきて、ひとりの青年がその荷物に駆けていった。
歓声があがり、拍手が起こった。
青年は自分の荷物を頭上に高々と掲げて見せた。
続いて現れたのがわたしの荷物だった。
同じく歓声があがり拍手が起こった。
皆に手を振ってわたしたちは出口へと向かった。
外は光に溢れ、爽やかな空気が満ちていた。
タクシーの窓から見えるエディンバラの街はただただ美しかった。