ステージを埋め尽くしていた売店が開演5分前になってきれいに姿を消した。
いよいよ。
いつしかウェーブが起こって場内を周回しはじめた。
わたしもタイミングを外さぬようウェーブが来るたび中腰になって両手を上げた。
一体何周するのだとちょっと気持ちが冷めかけたとき、はじまりを告げるアナウンスの声が勢いよく響き渡りカウント・ゼロを前に楽団が姿を見せた。
大歓声が地鳴りのように湧き上がって、ミリタリー・タトゥーが始まった。
25年前、ここに居合わせた。
しかし記憶はおぼろで、画像としてどうでもいいような数枚のイメージが頭の中に残るだけである。
こんなに楽しく心沸き立つようなイベントだったのだろうか。
記憶を探ったところで、やはりほとんど思い出せなかった。
各国の楽団が歌って踊って光が舞った。
見惚れているうちに不思議な感覚に捉えられた。
眼前の光景が色彩も鮮やか、賑やかであればあるほど生死のコントラストというのだろうか、闇が周囲を分厚く縁取ってそこに潜む死のイメージが際立った。
紀元前にルーツを持つ巨大な岩盤に古城がそびえ、おそらくは無数の死がここを通り過ぎていったはずであるから楽団の行進がその亡霊の列に重なったとしてもなんらおかしなことではなかった。
奇しくも今年のミリタリー・タトゥーのテーマは「ジャーニー」であった。
太古より人が連なるはるかな歴史をそこに垣間見て、失われたものの膨大を思い、同時に僅か受け継がれたものの奇跡に思いを馳せた。
すっかり忘れているだけで、わたしだって死に向かって行進している。
多くの記憶が失われるのは当然で、そのうちすべてが消え失せる。
歌って踊るその輝かしい光のなかに可視化されていたのはまぎれもなく死であった。
そんなものを直視したって若い頃には意味はない。
命のカウントダウンがそろそろはじまるのかもしれない今、一見しておくことができほんとうによかったと思った。