KORANIKATARU

子らに語る時々日記

金沢と言えば寿司

新幹線つるぎを降り、混み合う駅を抜け西口へと出た。


金沢は大阪よりも寒かった。

冷たい雨が降って、ときおり強く吹く風が道行く人の傘をもてあそぶみたいにたわめていた。


予約してあったレンタカーに乗り込み、わたしたちは金沢港を目指した。


金沢と言えば寿司である。

そこにある立ち食い寿司を家内が予約してくれていた。


トップバッターとして申し分なかった。

東京の伊勢丹や高島屋に出店すれば長蛇の列ができて3時間待ちはくだらない。


そんな人気店である。

わたしたちは最初のつまみから締めのトロたくまで絶賛し通しとなった。


そしてここで時刻は午後2時。

次の予約は午後5時だった。


街へと引き返しクルマをホテルの駐車場に停めた。

せっかく借りたクルマであったが、腹ごなしが必要だった。

わたしたちはそこらを歩き回ることにした。


雨の降るなか東茶屋街など散策したあと、街を南へと突っ切って犀川を越え、午後5時15分、鮨くら竹の引き戸を開けた。


店は予約でいっぱいだったが特別に、通常よりも早い時間に席を用意してくれていたのだった。

わたしたちの他には若い男性客が一人いるだけだった。


噂どおり。

別格だった。


いままで数多くの寿司を女房と食べてきた。

札幌の鮨やしろがわたしたちのなか玉座にあって君臨するが肉薄するのではと思えた。


カウンターに座る若い男性といつしか寿司談義がはじまった。

福岡の菊鮨、五島のすし処嶋など彼のおすすめの店をわたしたちは書き留めていった。


だんだん会話が深まった。

男性は上五島の出身で九州大学の眼科医だった。

学会での発表を終えたばかりだとのことだった。


博多の女性はめちゃくちゃキレイですね。

そう言うと八坂先生は何度もうなずいた。

おそらく奥さんが博多の人。

その顔を思い浮かべているに違いなかった。


家内は珍しく日本酒を楽しんだ。

八坂先生が頼むのと同じお酒を選び、そしていつにも増して饒舌になった。


追加の寿司を含めて締めてお代は36,000円。

大満足の夕飯になった。


またどこかでお目にかかることがあれば、と八坂先生に挨拶してわたしたちは席を立った。


雨はあがっていた。

だから傘を忘れても問題なかった。


家内は引き続き饒舌だった。

今度は博多へ行こう、五島列島を訪れよう。

賑やかに語らって、加賀百万石の夜の街路を二人並んでホテルへと戻った。

2024年11月30日 金沢で寿司屋をはしご