年末、息子たちが帰ってくる。
が、予定はほぼすべて友人らとの再会の時間で埋め尽くされている。
そうそう彼らの母校はここにある。
長男は西大和に通い、二男は大阪星光に通い多くの友人に恵まれた。
学校は「箱」であり、中身が肝心。
その中身と言えば友人をおいて他になく、卒業して残る実質はそこにしかない。
そういう意味で二人はとっても恵まれた。
帰省すれば母校がここにあり、昔同様、もしくはそれ以上の熱量で大勢の友人らがその帰りを迎えてくれる。
その縁は地縁血縁を凌駕している。
おそらく二人はこの帰省中、親戚に会ういとまはなく、近所の顔なじみと接する機会もないだろう。
が、母校の友人らを避けて通るなどあり得ない。
つまり、そこが実質。
中学受験をする時点ではあまりぴんときていなかった。
過ぎ去ってから、その意義は太く濃くその全貌をあらわにしていったのだった。
そう思えばわたしだって同じ。
ここに母校があるから、そこら中に友人がいて、みながそこら中で頑張っているから自ずとわたしの中にもファイトとガッツが湧いてくる。
この帰省中、息子たちは抱えきれないほどのファイトとガッツを友人らから受け取って、また東京へと帰っていくことになる。
そして今後も同様。
ここに家があるから、という理由ではなく。
ここに母校があるから、彼らは必ず帰ってくる。
女房が買ってきたケーキを夜二人で食べながら、帰巣する二人を間近にみて過ごす年末年始に思いを馳せた。