KORANIKATARU

子らに語る時々日記

芦屋ラグビーにて少年たちは生涯の友を得た

芦屋の公園でラグビーをしていたのは小学生の頃のことで、そんなとき想像もしていなかった。

 

いま同学年のメンバーが丸の内や大手町といった近所の会社で働き、今年は芦屋ラグビーの後輩が長男と同じ会社に採用され、なんと同じ部署に配属された。

 

そして仕事納めの日、その芦屋ラグビーの後輩と同じ汽車で帰省するのであるから、人生のめぐり合わせというのはほんとうに不思議なものである。

 

正月を除き、毎週日曜の朝、練習があった。

まるで教会に通う家族のように規律正しく、わたしたちは息子たちを芦屋の公園へと引き連れた。

 

そこで3時間たっぷり、息子たちは皆と取っ組み合って泥まみれになった。

 

いま思えばそこが入口だった。

三つ子の魂百までというとおり、当時の「泥まみれ」の関係はカラダに染み付いたものであり、だからふとしたきっかけがあれば完全に復活するのだった。

 

ラグビーのボールが不規則に跳ねて転がり込んでくるみたいに、長男は会社で勤め始めてすぐ当時の仲間と再会を果たした。

 

複数とすぐに繋がり交流の輪は広がって、ちびっ子時代の関係が再生されるのに時間はかからなかった。

 

少年時代の貴重な日曜日をすべて費やし、一緒に戦った。

だからつながる強度は、そこら日常経由の営為をはるかに超えたものになるのだった。

 

いまや友情と言えば、中高や大学といった学校で生まれるものと相場が決まっているが、芦屋ラグビーは友情を醸成する場として別格と言えるだろう。

 

少年は少年らしく生涯にわたる真の仲間を得て、ついでに言えば、母は母らしく最強化する契機をつかんだ。

 

いまになってとてもよく分かる。

なんて実のある場だったのだろう。

 

そして芦屋の公園でのシーンは入口に過ぎない。

 

この先もまたいろいろな「ボール」が転がり込んで、芦ラグのネットワークは充実度を増していくに違いない。

この年末、あの頃のちびっ子たちが何人かうちに遊びにくると言う。

 

息子らが帰省する年末年始は、親にとって貴重な振り返りの時間になるのだった。

2024年12月27日 朝と昼

2024年12月27日夜 夫婦でうどんすき