業務を終え、ほどよい疲れに包まれ電車に揺られた。
こんなときは携帯のアルバムに目を落とし、ぼんやり憩うに越したことはない。
以前は息子たちの写真がアルバムの過半を占めた。
ここ最近は旅先の風景が勢力を増している。
息子たちが東京で暮らすいま、致し方のないことだろう。
それでも一定の効果が得られる。
業務から解放された漂泊のひととき、かつての旅先をなぞれば瞬時にそのときの心持ちがいまここに再現されて、一気に気持ちが和んで癒される。
旅先と言っても今では膨大な数になる。
この日は昨年の今頃、2月あたりに照準を合わせた。
画面をスクロールしその時間に漂って、思った以上に遠出していることに気づいて驚いた。
忙しくて外出もままならない。
そんな記憶が残っているが、やはり記憶ほどあてにならないものはない。
2月だけでも博多、東京、札幌へと夫婦で出かけていた。
そんななか特に札幌が懐かしい。
寒波が訪れ、札幌は数年ぶりの大雪に見舞われていた。
「昨日までまったく雪はなかった」
タクシーの運転手はそう言って辟易していたが、観光客はなんて呑気な存在なのだろう。
街の美しさがひときわ増して、わたしたちは雪を大いに喜んだ。
今年は去年以上にあちこち出かけよう。
そう意気込んではみたものの、出だしは思わしくない。
年始序盤から4月にかけて忙しく、旅行もままならないという日が続く。
こうなればこの忙しさを楽しむしかないだろう。
おそらくこんなに忙しいのはこの人生においていまの時期が最後になる。
最後と思えば名残惜しい。
そう思うのが人情であり、だから忙しいことでさえ味わい深いものになる。
ここをくぐり抜ければ思う存分、旅へと踏み出せる。
そう思って耐えて堪えて日々を過ごし、思惑が外れ70、80まで忙しいまま歳月が過ぎるのであれば、それはそれでめでたいことというしかないだろう。