夜7時50分開始の非公開枠がある。
家内はそう言った。
カリスマだからあらかじめ予約は取れない。
でも、気が向けば特別にその時間、上顧客限定で予約を取ってくれる。
商売っ気旺盛なカリスマの口上にわたしは眉をひそめたが、世話焼き女房は施術を勧め、挙げ句にはクルマで送るとまで言い出した。
カリスマ直伝の施術を間接的に家内から受け、わたしとしてはこれで十分である。
わざわざ遅い時間に出かけて施術してもらうほど困っていないし、頭を揉んでもらって一回1万6千円というのは高すぎる。
「また今度」と言葉を濁して話を有耶無耶にしつつ、家内のヘッドマッサを受けながら、わたしは思った。
年齢を重ねるごとに付き合う人が限られて世界がかなり偏り始めている。
確かに、周囲には成功した事業主が多い。
しかし、自分が何者かを見失ってはいけないだろう。
そもそもの出自を振り返り、身内の面々を思い浮かべれば一目瞭然。
勘違いの付け入る隙はどこにもない。
大阪屈指の下町で生まれ育ったコテコテの庶民であって、頭の程度もしれている。
だからわたしにヘッドマッサの特別枠など、贅沢に過ぎる話というしかない。
で、ふと疑問が湧いた。
なぜあの人物は、富裕でもないのに、富裕っぽく見せることに腐心するのだろう。
地に足をつけ現実と向き合う方が健全で、結局は長く末永く清々しいはずなのに、現実との乖離が広がってもなお富裕を装い続ける姿を見ると、その必死さに少し胸が詰まる。
「見栄」という衣は一度まとうと、もう脱げないものなのかもしれない。
私はそこで思考を巡らせるのをやめ、施術の手に意識を向けた。
頭を包む温かな手の感触がよみがえり、心地よい音楽が再び耳に届き始めた。
なんて贅沢な時間なのだろう。
わたしは目を閉じたまま、あるがままの幸福に身を委ねた。