午前中、豊中で業務があり、その直前にズーム会議の予定が入っていた。
女房に運転してもらい、豊中への途上、クルマの助手席に座ってズームした。
こうして仕事の一端を女房も理解することになる。
業務を終え事業主に豊中駅まで送ってもらい帰途に就いた。
女房が待つ西宮北口駅で降り家へと戻り、ささっと身支度を整え家を出た。
ごとごとと音を立ててスーツケースを運んで電車に乗り、そのように移動する間も仕事は後を追ってきた。
JR尼崎駅で降りリムジンバスを待つ間も電話対応などし、こうして女房はわたしの忙しさの一端を理解する。
バゲージを預け保安検査を終えたあと出発ロビーで搭乗を待つ間も連絡業務をこなし、同時に家内の二万語への相槌も欠かさない。
ニッポン人はどこに消えてしまったのか。
関空のどこを見渡しても海外からの観光客ばかりでGWなのに日本人の数は唖然とするほど少なかった。
そんな状況を目の当たりにして家内の言葉は哀調を帯びていた。
機内の人となった時点でようやく圏外となった。
幸い、航空会社のシステムに不具合があってシンガポールまでの道中、Wi-Fiが一切繋がらなかった。
このデジタル・デトックス状態は6時間超にも及び、「圏外」にて自身にまとわりつくしがらみの粘度や肩に乗る荷の軽重が如実に理解できた。
自身を見つめ直し整理整頓するうえで不可欠な、絶好の再起動の機会になった。