KORANIKATARU

子らに語る時々日記

どうせ死ぬ、だから頑張る

家内が留守なので冷蔵庫の中のもので適当に朝食を済ませた。

午前中は自宅で業務をこなし、出かけるついでに駅前で昼食をとった。

 

サービス定食には目もくれず、蒸し鶏そばと唐揚げを注文した。

 

以前なら麺を大盛りにするなど炭水化物に耽溺した。

が、ここ最近はたんぱく質の摂取を優先するよう心がけている。

 

運動を欠かさないが、体重が増えている。

この年齢になってカラダが大きくなっている。

なんと喜ばしいことだろう。

 

頑丈に産んでくれた母に感謝せねばならない。

 

午後は新規の顧客を訪ねて八尾の弓削へと向かった。

最終地点は尼崎だった。

 

無事に業務を終え、帰途、夕飯にまた肉を選んだ。

 

肉を大盛りにし、ご飯は普通。

丼のなかは肉が過半を占めた。

猛獣になったかのように丼に顔をうずめ、無心にかきこんだ。

 

疲れていたが、ジムへとひとりクルマを走らせた。

せっかくたんぱく質を摂ったのだから、だらりと過ごすのはもったいない。

 

負荷に顔面を歪め、どうしたわけか、マーコーの言葉が頭をよぎった。

マーコーというのは小学生のときの友人山口くんのあだ名である。

 

小学6年のとき、塾に通い始めたわたしに彼が言い放った。

「頑張ったって、どうせ死ぬやん」

 

なんと鋭く本質をついた言葉なのだろう。

以来、その言葉は長くわたしの中に居座り続けた。

 

どうせ死ぬ。

そう思えば、何をしたって虚しい。
その虚無を理由に、頑張りを途中で手放す自分がいつもいた。


が、結婚し、そんな呪いの言葉から解放された。

子を授かってからは、マーコーのことを思い出すことなど全くなくなった。

 

いまでは知る。

結局のところ、人は死ぬ。

だからこそ、それまでは思う存分、充実するに越したことはない。

 

まず第一、頑張れば気分がいい。

これこそ生きる報酬だと思う。

もっと言えば、そのように生命は設計されている、とまで感じる。

 

どうせ死ぬ。
だからこそ、頑張る。

 

たんぱく質をたっぷりカラダに含んでジムで顔を歪める。

ああ、なんと心地よいことだろう。

死ぬまでに、この感覚を何度でも味わいたい。

2025年10月14日 質素朝食

2025年10月14日昼 西宮 大貫 蒸し鶏そばと唐揚げ

2025年10月14日夕刻 阪神尼崎 肉劇場 肉大盛丼