子を縛るのではなく送り出す

週末の金曜。

家内が一人でソウルへと飛び立った。

 

わたしも一緒に行くはずだった。

が、今回は見送らざるを得なかった。

 

父がこの週末に施設を退所する運びになっていた。

それに伴い決めねばならないことが多々あった。

 

意思決定を担っているのは他でもない、わたしだった。

近場ならいざ知らず、海を越えている場合ではなかった。

 

ところがここに来て、父の退所が急遽6月中旬に延期になった。

 

ちょうどその時期、わたしは家内と石垣島を旅する予定にしていた。

こちらもまた海の向こう。

わたしは参加を見送ることになるだろう。

 

女房と旅する。

いまのわたしにとってそれが数少ない人生の楽しみである。

しかし、それより優先しなければならないこともあるのだった。

 

ソウルに着いた家内から次々と写真が送られてきた。

仁川空港にはソウルの妹分が迎えに来てくれていた。

 

フランス旅行の際、美術館でたまたま声をかけ、以来、交流が続き、渡韓するたびに会う仲になった。

そうした縁があって夫婦で年に二、三度ソウルを訪れるようになった。

 

送られてきた写真をみて、わたしは隣国の街への郷愁に捉えられた。

 

何が大切か。

平時には見えなかったものが、驚くほど鮮明に見えてくる。

 

もしわたしが老いて施設に入ったとして。

息子らには自由でいてほしいと思う。

 

親の役目は、子どもを縛ることではなく送り出すこと。

わたしのことを気にして予定を書き換えることはない。

 

あまりにもわたしがしっかりしているから、父はわたしを必要としている。

迷いなく、わたしはその役割を担う。

 

わたしはしっかりしている。

だからわたしが老いたとき、息子たちが心配することは何もない。