野田駅周辺の繁華街が新市街だとすると、野田城跡石碑を起点に広がる下町地帯は旧市街と言えるかもしれない。
野田城は、織田軍勢が毛利水軍と一戦交える際の拠点であったと言われるが、歴史から完全に忘れ去られた存在であり、石碑の辺りにあったのであろうと見当つけられているのみで実は正確な位置は不詳のままである。
一歩旧市街の内側に入ると小さな住宅がひしめくように軒を連ね、道は狭く蛇行し、どこを歩いているのか次第に分からなくなってくる。
夢か現かおぼろ月夜の迷宮さながらといった様である。
若い人はそこを後にし老人が残されるからだろうか、独居老人とお見受けする方が町に多く目立つ。
日本共産党が交差点で街頭演説していると老人が集まり、その通りと合いの手を入れていたり、町の整形外科はいつも大混雑で入口に老人が溢れ出るという様子をしょっちゅう見かける。
コンビニや総菜屋で買物する老人比率も、相当に高いのではないだろうか。
この先日本に訪れる現実の姿が先取りで現れていると言えるかもしれない。
コンビニで白ごはんを買うだけのご老人や荷車に掴まりのり弁当だけを買うご婦人を昼に見かけ、総菜屋で種々揃うおかずの棚を放心したように眺め立ち尽くしているような老女を夕に見かける。
同じ老人でも男性諸氏は、牛丼屋といった外食で手軽に済ませることができても、女性となるとなかなか敷居が高いのかもしれない。
プラスティック容器に入った料理を一人食べる様を思い浮かべると何とも侘びしいような感が込み上げてくる。
大きなお世話だと叱責されるかもしれないが。
私には娘がいないのでリアルな想像ができないけれど、もし娘がいたなら私に似て不細工であったろうが、その幸福を望むのは当然であっただろう。
一人でも食べてゆけるよう厳しくしつけし教育に熱を入れたであろうし、その一方で、やはり女性の幸福としてできればいいところに嫁いで、夫を支え平和で穏やかな家庭を築いて欲しいと願ったに違いない。
しかし、ちょっとマヌケ面で描くような浅いイメージだと嫁いで家庭を形成するシーンまでで終わってしまうが、人の暮らしは映画やドラマと違い、そこからまだ先があるのであった。
私に娘がいたとして、娘も時に抗えずやがて老いる。
そのとき、いたって明るく賑々しく暮らしているだろうなどといった能天気な想像でハイおしまいと締め括ることはできない。
彼女が、哀感伴う晩年を迎える時のことまで考えずにはおられない。
どのようであれ、せめて家族との交流のうちにあり続けて欲しいと願わずにはいられない。
人は一人で生まれ一人で死ぬとは言うものの、晩年ずっと一人というのは人生の終幕にあたってすんなり受け入れられるものではないだろう。
想像の世界では容易いかもしれない。
しかし、細部まで突き詰めると、これはもう、胸に穴が空いて寒風吹きすさぶようなものだ。
今日、こんなことがあったのよ、と家に帰っても誰もいない。
夕方になっても誰も帰ってこない。
鳴らない電話。
夜、聞こえるのは時計の秒針と遠くを走る車のエンジン音くらいしかない。
今ここで、我が身に何かあっても誰にも気付かれることはなく、地球は回り大阪環状線も回り続けるけれど、独居のその場だけは空虚な静けさに包まれたまま誰の関心もひかない。
私自身は、それでも耐えられる。
多かれ少なかれそんなもんだと諦観している。
しかし、私に娘がいたとしたら、そんなふうかもね、とその晩年について知らぬ存ぜぬでは済まない話だ。
いかにもパッとしない、風采あがらない男であっても、それで気苦労絶えない辛い人生となるかもしれないにしても、一人よりはいいと昔ながらの考えを早々に押し付け諭すことになるだろう。
たとえ設けた子が、手に負えないろくでなしで世間様に頭下げるばかりのならず者になったとしても、その子はぽっと心に灯をともしてくれる唯一の存在となる、だからさっさと子を作れ、とこれまた古くさい考えを邪険にされながらも繰り返すことになるだろう。
頻繁に様子を窺う電話をしては家族のためにしっかりやれ、旦那を全力でサポートせよ、子供にはいいもの食べさせろ、しっかり勉強させろ、お金の心配はするな、としつこいくらいにつきまとったかもしれない。
家族の充実の中心となった彼女が老境において見向きもされなくなるということはないだろう。
とはいえ、そこまでしても孤独に捨て置かれる最期となる可能性がなくなる訳ではない。
悲観すると胸締め付けられる。
そして、テストの夢からハッと覚めるように、ああ、私には娘などいないではないか、と少し気が和らぐのであった。
娘の幸福を案じれば案じるほど、死ぬに死ねないような、未練たらたらの気持ちに苛まれたであろう。
しかし、娘などいない。
野生でも生き延びられるような腕白な息子が二人いるだけである。
ほっと胸撫で下ろすとはこのことだ。
君たちに伝言だが、我が家には一人、女性がいる。
君たちが暴れ回りのたうち回って手がつけられなかった幼い頃、ラブユーフォーエバーという絵本を読んで、いつの日か立派な人間となった君たちから心温かなものを感じる事ができる、と予感し涙したママのことをこの場で伝えておこう。
君たちがいるので、本当に安心だ。