KORANIKATARU

子らに語る時々日記

他人の不幸(その3)

その日のお昼に、福島にある中国菜オイルという人気店を家内と訪れていた。
食事のために列に並んだのは学生時代以来のことだ。

日替ランチ、チャーハンランチ、麻婆豆腐ランチと2人で3人分を注文する。
美味しさにも吃驚したが、もっと驚いたのは、後味が爽やか、中華にありがちな食後の胃重感が全くないことであった。

あこぎな味付けとは無縁であり、胃への負担となるような粗悪な素材や油といったものを一切使っていないのだろう。
シェフの腕前は底知れない。
一度食べればチャーハンと麻婆豆腐はやみつきになるはずだ。

隣席に、中年の、しかし、所帯じみた雰囲気を全く感じさせない女性の二人組がいた。
4人掛けのテーブルに陣取り、食べ終えた後も長く話し込み席を立つ気配がない。
外では家族連れなどが順番を待ち行儀よく列をなし並んでいる。
小さな子供たちも立って待っている。
まともな神経なら待っている人たちのこと、そこに子がいることに意識が向くことだろう。

中年女性Aが言う。
「あなたは本気で望んでいるの、本気なの?」
更に畳みかけるように言う。
「本気で望んで、それではじめて手に入るものなのよ」
後輩格の中年女性Bはただ頷いて話を聞いている。

仕事の話だと最初は思ったのだが、どうやら恋愛の話、つまり男について話していることが分かってきた。
休日の晴れた正午、家族連れやらで賑わう中華の店で年配者とも言える域に差し掛かった女性がとっくに食べ終えた後もずっと席を塞いで、男についてああでもないこうでもないと、そして、本気かどうかといった精神論に至り、白熱して向き合い話し込んでいる。

本気で望むかどうかといった意気込みなど男に対し一切役立つはずがなく、戦慄すべき恐怖に過ぎず、むしろ無関心装われる方が効果的かもしれず、しかし、そんなことより何より、眼の前で列に並んで待っている他者のことにふっと思いが向くような気遣いの方が、はるかに大事だろう。
他人のことなど一切眼中にないといった様子の彼女らがする的外れな恋話に苦笑してしまう。

良縁などまともな人間性が備わってこそのものであり、しかもそうであったとしてさえ、恋い焦がれてジタバタしても縁がなければアカンもんはアカンのであり、縁があればどうこうせずともちょっと背を押すだけで収まるところに収まってゆく、そんなようなものであり、テクニカルで皮相な話の出る幕などないのではないだろうか。

だから、こと異性に関しては脈のないところで滞空してても仕方なく、落とし穴には気をつけつつ、できれば自らが未知数の時代に、ダウジングするみたいに味方となる伴侶をテキパキ嗅ぎ分ける、そのようにして虚心淡々と手際よくするのが最良のやり方なのだろう。
なにしろ他に仕事やら勉強やら、世の中はやることが盛りだくさんだ。
ぐずぐず停滞して時間を徒過する暇はないはずである。

子らと並んで本の頁を繰りながら、そのように一日を振り返りつつ、意識は眠りの淵を彷徨い始める。
横を見ると二男は既にすやすやと寝入っている。
先にリタイア、消灯を長男に任せ、毛布を頭から被った。
夏の旅行の行先を思い巡らせにやにや眠る。