KORANIKATARU

子らに語る時々日記

京都高雄で森閑を静か味わう


大阪駅で阪急に乗り換えた。
京都へと向かう電車は梅田が始発だ。
夫婦横並びで座席に腰掛ける。

十三で神戸方面からの乗客が合流する。
日曜朝8時過ぎ。
平日よりも混み合う阪急電車となった。

大半が桂で乗り換える。
目的地は嵐山。
秋、紅葉の頃、嵐山は人でごった返す。


牛歩の歩みの渡月橋であった。
後ろに人がつかえるといった生易しい話ではなく、どんどこ人が押し寄せるので記念撮影などした日にはブーイングの嵐の嵐山となる。

午前10時過ぎの混み具合から午後最盛期の様子を思い浮かべれば長居などしていられない。

我ら夫婦は竹林を抜け山へと向う。
清滝を経て高雄へと進む道程は絶景に次ぐ絶景。
今年紅葉は不出来であったようだが、それでも六丁峠からの眺望は見目麗しいものであった。

生い茂る樹木の間隙、遥か下方に渓谷が見える。
そこに張り渡された鉄橋の上をトロッコ列車がゆるりゆるりと走る
せわしないような時間感覚が揉み解されていく。
夫婦してその光景を目に焼き付ける。

頭上高く左右にそびえる杉の木立の道を抜ける。
青の光をやわらかに散乱させる清流はけがれなく目に入る色彩は豊饒で、空気は清涼。
ただただ歩くことが心地いい。

あっと言う間の2時間半。
高雄に到着した。

高雄観光ホテルが設える川床で昼食。
川のせせらぎを真横にし夫婦差し向いで湯豆腐をつつく。
刺身も天ぷらも格別。
疲労が癒えて行く。


そこから登って神護寺。
紅葉の名所として名高く、空海にも最澄にもゆかりあり、国宝を数々所蔵する由緒正しい寺院である。

夫婦で手を合わせ、記帳し、御朱印を頂く。

更に奥へと踏み入って、引き続いては、高山寺。
樹齢千年は下らないであろう古木に囲まれた質素な佇まいに心に染み入るような情緒を感じる。
なるほど世界文化遺産。

夫婦二人、手を合わせ、その森閑を静かに味わう。


混み合うバスに乗って京都駅。
伊勢丹食品売り場は、何か天変地変でも起ったのかと思えるほど人で溢れ返っている。

それでも買物を続ける家内のガッツに感服しながら私は足手まといにしかならないので駅の構内へと退避する。

そこも広大無辺に人が湧いて出て絶えることがない。
流されないよう壁に張り付きやりすごす。

私と同様、壁にはりつき茫然と立ち尽くす外国人のおばさんの姿が不憫であった。
胸に思い描いていたはずの古色帯びた京都像は打ち砕かれ木っ端みじんとなっていたに違いない。

帰途のホームもごったがえしもちろん新快速に座れるはずもなかった。
押し合いへし合いのなか、家内とつり革につかまって踏ん張る時間を過ごすことになる。

京都駅を利用する地元の子供達の話題となる。
洛南の子や同志社の子らはこの電車で西宮に帰ってくるのか。
これではあんまり気の毒だ。

家内によればあまりにも混み合うことが多く彼ら彼女らは各駅電車を利用することもあるのだという。
このラッシュの日常は耐え難いものであろう。


私たちが帰宅するのと入れ替わり、子らはガーデンズへと向かった。
夕飯を兄弟二人で食べて映画を観るのだという。

私と家内はホカホカカーペットに並んで座ってワインを飲んでチーズを食べてどうでもいいようなテレビ番組を見て過ごす。

大阪ダブル選維新勝利のニュースをみていると子らが帰ってきた。

コードネームという映画を観たという。
そこらにいた外国人二人に長男が話しかけ、どれが面白いか聞いたところ、一カ月毎に各国を巡るというテキサス出身のアメリカ人がコードネームを勧めてくれた。

英語を実地で試したくて仕方のない長男は外国人を見れば話しかける。
そもそもがコンビニの店員やらガードマンなど誰とでもコミュニケーションのとれる長男である。
誰かに話しかけることに躊躇がない。

二男はまだ英語が話せず聴き取れず、気後れしているようだが長男の仕方から多く学んでいくことだろう

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