KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ちょっとしたようなことほど長く胸に残る

最後の訪問を終えた時刻が午後5時前。
帰宅ラッシュにはまだ間がある。
今週も無事終わった。
やれやれと安堵しつつ人もまばらな大阪天満宮駅のホームで電車を待つ。

ふいに肩を叩かれた。
後ろを振り向くと家内が笑っている。
ちょうど買い物帰りのようだ。

こんな偶然も珍しい。
せっかくなので近くで一杯飲もうと提案するが、家内は買い物袋を指し示す。
天満市場でたっぷり食材を仕入れたようだ。

今夜は家めしとなる。
事務所に寄るのを取りやめ、そのまま並んで座って家路についた。

たった4人とは言え、それぞれ性質を異にする。
ひとつ屋根のした暮らせばほとんど常に円満であっても一分一秒まで含め完全無欠に和が保たれるというわけではない。
子らもラガーマンのはしくれ、たまにはついハンドオフっぽい仕草表情を浮かべることもある。

が、たいていの場合、正義は親の側にある。
やることをきちんとやっている人間に楯突いても理屈が通らない。
雀の子そこのけそこのけお馬が通るとばかり、譲るのは決まって彼ら雀たちの方になる。

やれ、と言うのは簡単で、もし親が子にやれとだけ言いっ放しで、自らは惚けてだらしなければ、馬脚もあらわ、雀にさえ足止めくらう有り様となったかもしれない。
やれ、というからには、親も同じく、やってみせてなんぼのもん、ということになる。

家に着いてすぐ家内はキッチンに立って食事の支度を始めた。
わたしはリビングに座ってワインを開けてちびちびと始める。

都度、出来上がった料理が供される。
この日、トップバッターは見事焼き上がったヤングコーン。

二男と分けて頬張る。
風味香ばしくほのかな甘味に旬を感じる。

料理が次々登場し始めた。

にんにくの入ったわかめの和物が中年の味覚の真芯を捉える。
揚げ出し豆腐もほどよい焼き加減でほどよい歯ごたえ。
チーズとトマトのサラダが箸休めとなり、この頃合いで長男が帰宅し、メイン料理のお出ましとなった。

コーンライスに揚げたてのとんかつが添えられる。
もちろんわたしには別メニュー。
カレイの煮付けが前に置かれた。
喰いしん坊視点で見れば、とんかつに比べ幾分ルックスは見劣りするが、これが分相応であるから仕方がない。

そのように食べ続け最後に子らはハーゲンダッツのアイスまで平らげるのであるからちょっとしたフルコースとも言える夕飯だ。

昨日の深夜、タオルケットをわたしに掛け直してくれた長男の男っぽい心遣いを思い出し、この夜、夕飯の目玉の一品をわたしに分けようとして目配せした二男の慈悲深い表情を反芻などしながらわたしも夕飯を存分に楽しんだ。

そんな程度のちょっとしたことがお酒をますます美味しくし、長く先々まで胸に残る私だけのとっておきのエピソードとなっていく。

雀とお馬の立場も早晩入れ替わることだろう。